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夜、車も人も少なくなった通りで、2人の男は不本意に立ち止まっていた。
点々と存在する街灯。照らされる選挙ポスター。隅田川の長大な流れにに脚をかける巨大な鉄橋。そしてその先には、白く窓を照らすマンション群が月下に浮き出ている。
「おええええっ」
びちゃびちゃと湿った音がアスファルトに反響する。腹の中を全て空にするようなその様子に2人の若い男は白いため息をついた。遠巻きに眺める男たちは寒空の下、ロングコートの襟を限界まで立てている。
「先輩、こいつ帰らせた方がいいですかね。どうします?」
「あぁー?もういいよ、ほっとけって。あいつも店の名前分かってんだろ」
グループに連れの馬鹿な状態でも教えてやっているのか、長々とスマホを操っていた男は、そう適当に言葉を返すと踵を返した。コートに手を突っ込んで、うずくまる男に背を向ける。
「お前も来いよ。収まったら勝手についてくるだろ」
「……はい」
戸惑ったように視線を彷徨わせる男。しかし結局、彼も鉄橋に足を向けた。隅田川の流れを垂直に渡る。
「遅れるって言っといた。はやくほかのやつと合流しようや」
半ば呆れた様子で”先輩”はそう言葉を吐くと、”後輩”と隣りあって進み始める。そばの道路にヘッドライトの光が走り、のろのろと進む2人の背を映し出した。
「飲みすぎなんだよ。調子悪いとか言ってたくせによぉ」
「まあまあ、すぐ落ち着きますって……それで今日はどの子狙ってんすか。真美ちゃんとか?」
「はっ、胸でかいしなぁ……って」
この後に控える楽しみに緩やかに心を躍らせつつ、下世話な話に盛り上がり。
やがて、2人の頭から病人のことが薄れ始めた頃。
男はふと肩に違和感を感じて振り返り、そしてぎょっと顔をひきつらせた。後輩が顔を固まらせる。
「…………で、……こい……わるい……すぐ…………ちょうし……かえらせた……だいじょだい、だい……だ、」
ブルブルと細かく震え、脈絡のない言葉を口の中で増殖させる。見知った男の奇妙な行動が、白く灯る街灯に背後を照らされて黒く浮かび上がっていた。
先ほどまで橋のたもとにいたはずの人物が、いつの間にかそこにいた。
「……おまえ本当に大丈夫か?今日は来ねえほうがいいって」
不気味な姿に、しかし男は声をかけた。
途端、
「ぁ、」
「ん?」
ピタリ、と体の震えが、止まる。
「ア、…………アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアァァァァァ!!」
咆哮。人間のそれよりも、獣に近い低い叫び声。
即座に両足が地面を蹴り、固まった二人に向かって限界まで伸ばされた腕が掴みかかる。口からむき出しになった歯が、街灯に照らされて黄色く光る。
「ッ!!っぶねぇって!」
狂気じみた動き。いきなりの動きをなんとか避けつつ、男は咄嗟に両腕を振り回した。意図のない、ただ苦し紛れの行動。しかしそれは勢い余ってバランスを崩していた友人の胸へと吸い込まれ……。
トントントンと。たたらを踏んだ友人は橋の欄干から、直下の暗闇に飲み込まれて消える。
―静寂。
数瞬の後、なにかが潰れたような音が、闇夜をかき分けるように鈍く響いた。
「え……落ちた?…………嘘だろ」
「……ちょっと、ちょっと!ちょっと!!なにやってんですか!!まずいですって!」
「いや知らねえって!向こうが急に向かってくるからだろうが!よろけて勝手に落ちたんだよ!!」
くそ!と言葉を吐いたのを最後に男は頭を抱えた。冷たいアスファルトに膝が折れる。
殺してしまった罪悪感と、打算と自己弁護、そして自分の将来。……いろいろなものが頭の中を埋め尽くしていくその様子を、呆然と見下ろしていたもう1人の男は、
「え」
ある異変に気づいた。
「なんだよ」
「……いやあの……それって」
この場の打開策を求めてわずかな期待を込めて見上げる無傷の男の、その腕に指を向ける。
「……血?」
「なんで……」
傷なんてつけてねえぞ、とつぶやきが白く漏れる。
深夜の鉄橋。掌にべっとりと付いた赤い液体。2人になった男たちは呆然と目に映す。
「くそっ!わけわかんねえ!」
「ちょっと!待ってくださいよ!」
やがて男は走り出した。この場から離れなければならないという思いが罪悪感を上回っていた。
男が半ば水に沈んだ身を震わせた。骨が皮膚を突き破り、内臓がこぼれだしている。右腕は半ばからちぎれ、ひびが入った背骨が姿勢を歪め、頭蓋骨が陥没した前頭部からは内容物があふれ出していた。
だが、そんなことはもはや関係なかった。
11月1日、深夜の冷たい水流に関節が潰れた脚を地面に突き立てた彼は、水を蹴立てて走り出した。




