071A. 若き老中(芽)ー初めての実りー
老中職を拝命してから、幾度となく評定所に足を運んだ。
今日、机上に置かれた一冊の綴りを見たとき、わたしはようやく小さな息を吐いた。
「これは……」
勘定所に配したばかりの若手が、浪費を改めるために洗い出した帳簿だった。
細々とした出入りが整理され、余計な支出が幾つも削られている。
たかが一両、二両の差に見える。だが積もれば千金となる。
「殿、こちらの翻訳も」
次に差し出されたのは、蘭書の一節を訳した紙片。
異国の新しい大砲の仕組みが、わかりやすい言葉で書き起こされていた。
わたしが登用した学問所の一人が、夜を徹して仕上げたものだという。
評定の席で、時流を知らぬ者から「何の役に立つのか」と嘲られたその翻訳が、今ここで確かな形をとっている。
「……なるほど。役に立つかもしれぬな」
わたしは小さく呟いた。
同席する老臣たちの表情は、いまだ懐疑に満ちている。
「些末な改善」「子供の戯れ」と心の中で笑っているのだろう。
それでもいい。
小さな成果は確かに積み重なりつつある。
橋脚を一本ずつ据えてゆけば、いずれは大河に橋を架けられる。
その日を思い描き、わたしは静かに綴りを閉じた。
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[ちょこっと歴史解説]
阿部正弘は、若くして老中に就いたのち、積極的に人材登用を進めました。
当初は彼の選んだ人々が即座に大きな功績を挙げたわけではなく、まずは小さな改善や翻訳、細かな財政の整理など、目立たぬ「成果の芽」が重ねられました。
この地道な積み上げが、やがて幕政全体の大改革へと繋がっていきます。




