068KT. 若き老中(構)―記すべきもの―
評定所の議がようやく終わった。
広間を出れば、秋の風が冷たく頬を撫でる。
つい先ほどまでの熱気が嘘のように思えた。
私は持ち帰った筆録を机に広げる。
墨の跡は乱れ、にじみも多い。
けれども、この紙に残されたのは、単なる言葉の羅列ではない。
声の強弱、沈黙の重み、誰が目を伏せ、誰が机を叩いたか――そのすべてがここに刻まれている。
「威を保つは形にあらず、実にございます」
あの一言が胸に残る。
若き殿の声は、決して大きくはなかった。
だが、静けさを切り拓き、場をわずかに動かした。
私は筆を執り直す。
日記の余白に、ひとこと添えておかねばならぬ。
――本日、評定所にて議あり。
若き殿、沈黙をもって場を制し、ついに策を口にす。
諸老、なお反発強し。然れども、心の揺らぎ見ゆ。
書き留めた瞬間、私は息を吐いた。
記録とは、ただの過去ではない。
未来に向けての証であり、誰かが歩んだ道を照らす灯火である。
この一日を記した筆録が、いつの日か、誰かの眼に触れるとき。
そこに込められた沈黙の重みを、果たして伝えられるだろうか。
私は蝋燭の火を見つめながら、もう一度筆を走らせた。
記すこと――それこそが、我が務めである。
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[ちょこっと歴史解説]
川路聖謨の日記・覚書は、単なる議事の記録を超えて「誰がどう動いたか」「場の空気はどうだったか」まで詳細に残されています。こうした生々しい記録が残ったおかげで、幕末の政治過程を後世の我々が具体的に追うことができるのです。




