067KT. 若き老中(構)―揺らぐ声―
殿の口から示された策に、広間はざわめいた。
「長崎の貿易を制御し、利を幕府に引き寄せる――」
その響きは、倹約と負担増ばかりを繰り返してきた議の流れを、確かに変えていた。
老中・土井大炊頭が眉間にしわを寄せる。
「なるほど、言の理は通る。民百姓に鞭打たぬ策とあらば、耳を傾ける価値はある」
言葉とは裏腹に、その声音にはまだ警戒の色が濃い。
井上信濃守も口を開く。
「だが、夷狄との交わりを増やすは、風聞を招く。内地の士民が聞けば、不安を募らせようぞ」
「その通り」
「幕府の威を損なうことにもなりかねぬ」
諸声が再び重なる。
殿は静かにうなずき、ただ一言。
「威を保つは形にあらず、実にございます」
座がしんとした。
反駁は止まぬ。だが、最初のような一斉の拒絶ではない。
一人ひとりが、言葉を選びながら口を開く。
慎重と警戒の裏に、すでに「理を認めざるを得ぬ」という影が見えていた。
筆を執る私の手にも、その揺らぎは伝わる。
墨が淡くにじみ、かすれた跡となる。
評定所という場そのものが、いま少しずつ動き始めているのだ。
――若き老中の声が、ついに重しをずらしたのだと。
私は心中でそう記し、さらに筆を走らせた。
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[ちょこっと歴史解説]
幕末期の幕府は、内政倹約だけでは財政が立ち行かなくなり、対外貿易をどう扱うかが大きな課題になりました。古参の老中は「外との交わりは威を損なう」として慎重論を唱えましたが、阿部正弘のように「実利を得ることこそが幕府を保つ」と考える若手も現れます。この二つの視点がぶつかり合い、やがて幕末の大転換へとつながっていきました。




