066KT. 若き老中(構)―策の声―
沈黙のあと、評定所の広間に静けさが落ちていた。
諸老は互いの顔をうかがい合い、先ほどまでの鋭い声は、どこか尻すぼみになっている。
そのとき、殿が口を開いた。
「拙きながら、ひとつ申し上げたく存じます」
私の筆先がぴんと立つ。
「まず、当面の勘定を繕う策にて候。諸藩よりの借り入れ、あるいは旗本知行の一部を臨時に召し上げるにあらず。むしろ、倹約を強いての倉の補いは、すでに限りが見えております」
声は穏やかだが、言葉は一つひとつ、石を置くように確かであった。
「されば、長崎にての貿易を制御し、蘭館を通じた輸入品に課をかける。
内地における倹約よりも、外からの流れを制し、利を幕府に引き寄せる方が急務かと」
座の空気が揺れた。
財政の立て直しに「海外」を口にするのは、ここでは珍しいこと。
老中の一人が眉をひそめる。
「外夷に頼るなど、軽々に申すことではない」
殿はうなずき、静かに答えた。
「頼るのではなく、制御するのでございます。
時の流れを止めることはできませぬゆえ」
私は記す。
筆に力が入る。
沈黙のあとに発せられた策は、ただの理屈ではなく、現実の道を示すものだった。
この場にいる誰もが、若さを侮るだけでは済まぬことを、少しずつ悟り始めている――。
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[ちょこっと歴史解説]
阿部正弘は老中就任後、内政の倹約だけでは幕府財政は立ち行かぬと見抜き、外の交易を幕府の利益につなげる発想を示しました。長崎奉行の管轄を重視し、貿易の調整や蘭書の輸入に課税を検討するなど、国際的な視野を持った具体策を早くから提示したのです。これが、のちの開国や通商政策へとつながっていきました。




