062A. 若き老中(影)ーもう一つの眼差しー
あの若き老中が口を開くと、場の空気が僅かに変わった。
古参たちは冷笑を浮かべ、軽んじる態度を隠そうともしない。
だが私は、ただ静かにその様を眺めていた。
机上に置かれた書付は、取るに足らぬものにも見えた。
大事業とは程遠く、世を震わせるものではない。
しかし、些末と切り捨てるには惜しい。
そう思わせる妙な力が、確かにそこにあった。
「……ならば、その範囲で試みよ」
そう応じた同僚の声に、場は収束した。
私は表情ひとつ変えず、次の議題に目を落とした。
若き老中――阿部の動きが、いずれどこへ至るのか。
壁を打ち砕く器量があるのか、それとも途中で潰えるのか。
まだ断ずるには早い。
利用できるのなら利用すればよい。
その程度の思いを胸に、私は筆を取って議事を控えた。
だが、心のどこかでふと感じていた。
この一条が、後日に思わぬ意味を持つやもしれぬ、と。
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[ちょこっと歴史解説]
幕政の老中は複数名で構成され、互いに均衡を取り合いながら政務を担いました。
若くして老中に就いた阿部正弘は、最初は軽視されつつも、一部の同僚には「使えるかもしれぬ存在」として注目され始めます。
こうした多様な視線が交錯するなかで、彼は次第に地位を固めていくのです。




