061KT. 若き老中(記)ー紙の上の灯火ー
評定所の務めを終え、私は勘定所へ戻った。
私、川路聖謨は、日々「公事控」を記すことを欠かさぬ。
それは職務であると同時に、この身の責めでもある。
帳面を開き、筆を整え、今日の出来事を記し始める。
若年の老中が差し出したのは、わずか数枚の書付にすぎぬ。
大策でもなく、制度を覆すほどのものでもない。
されど、これを退けるには惜しい――そう思わせる一条であった。
「些事に似て、大事に通ず」
私は余白にそう覚え書きを入れる。
古参の老中たちは冷ややかな視線を投げていたが、あの場に走った沈黙を、私は確かに実見した。
政治は口先で動くものではない。
だが、記録の一行が後日に至り、事の証左となることは幾度もあった。
今日の出来もまた、後の世に伝うべき一端やもしれぬ。
私、川路の務めは、ただの傍観ではない。
証人として筆を執り、正しく残すこと。
それこそが、時代を繋ぐ唯一の道だと信じている。
筆を置き、灯火を仰ぐ。
淡き光ながら、紙の上に刻まれた一条は、確かに灯火となって揺れていた。
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[ちょこっと歴史解説]
川路聖謨は「勘定奉行」として実務を担うと同時に、日々の出来事を「公事控」などに書き残しました。
その記録は後世にとって貴重な史料となり、彼自身が「時代の証人」となったのです。
阿部正弘の小さな布石も、川路の筆によって記録され、歴史に定着していきました。
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