051KR. 若き老中(波)ー漂う未来図ー
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風が、変わった気がする。
肌に触れる空気が、違う。
潮の流れではない。
町のざわめきでもない。
人の“目”だ。
最近、やたらと見られる。
話しかけられぬまま、通りすがりに――
あの“老中”の目を通したような、そんな視線を。
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「なんだい、あの方……誰か見張ってるのかね」
稽古帰りの道すがら、
麟太郎は背後に感じた気配に、肩をすくめた。
けれども、目を細めて振り返っても、そこには誰もいない。
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阿部さまが老中になってから、
世の中の“目線”が、少しずつ変わっている。
動かされる者。
見張られる者。
そして、試される者。
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「おめぇさんは、“海のこと”ばっかりだな」
塾の先輩に言われた言葉が、今も耳に残る。
その通りだ。
海図に夢を見た。
帆船に希望を託した。
けれど、今、思うのだ。
――“岸”を知らねば、船は出せねぇ。
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最近、阿部からもたらされた一冊の写本。
蘭書の翻訳で、そこには欧州の海防・経済・測量の話が記されていた。
だが、それだけじゃない。
“政治と軍の接点”、
“教育と技術者の育成”
“国家という仕組み”
それらが、全部“地図”の話だった。
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地図とは、船が使うものだと思っていた。
だが、阿部さまは、それを“政”に使っていた。
「……やるな」
素直に、そう思った。
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まだ、遠い。
まだ、俺は“波”の上だ。
海を夢見る若者でしかない。
だけど――
波を抜けて、港に立つ日があるなら。
きっと、その港は、
誰かが“構えてくれた”政の先にある。
そう、思えた。
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背中の風は、今日も揺れている。
だが、それが“前へ”と背を押す風なら、
進むしかあるめぇよな。
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[ちょこっと歴史解説]
▪️勝と海
勝麟太郎(後の勝海舟)は、幕臣の中でも特に「海」に強い関心を持ち、
蘭書や航海術、測量技術に傾倒した人物として知られています。
本話の背景となる時期(1850年前後)は、
まだ彼が出世していない時代ですが、
阿部正弘の改革によって、「能力ある若者」に目が向けられはじめた時期でもあります。
実際、阿部は蘭学者・翻訳者たちへの支援を広げ、
海防や測量といった“外とつながる知”を重視して登用を進めていました。
この話は、そうした動きが若き勝麟太郎の内面にも波及していたことを象徴的に描いています。




