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JK老中、幕末って美味しいいんですか?  作者: AZtoM183
6.若き老中
74/150

幕間『消えゆく熱、燃えゆく影』

火鉢の炭が、ひとつ、弾けた。

その乾いた音に、水野忠邦は、静かに眼を開いた。


「……寒くなったな」


誰に向けたわけでもない独り言が、梁の奥へ消えていく。

江戸の冬は、骨に染みる。

屋敷に火を入れていても、気を抜けば手がかじかむ。


かつての権勢は、とうに過ぎた。

訪れる者も、めっきり減った。

だが、耳はまだ、遠くの声を拾っている。



「阿部が、人を動かしはじめたようですな」


あれは誰の言葉だったか。

かつての家臣か、通りすがりの役人か、それとも別の誰かか。

記憶は曖昧だが、その声だけは耳に残っていた。


阿部――

あの若造が、老中になったというのも、少し前のことだった。



(早いな……いや、早くはないか)


忠邦は背を凭れに預け、天井の梁を見上げた。

老中に就いたあの青年が、いまや人を動かしているという。


かつて、自分のもとで、下の者として仕えていたあの男が。


(あの頃は、何も言わぬやつだった)


それでも、よく見ていたのだろう。

沈黙していた分だけ、吸い込んでいた。



自分が燃やそうとした火は、大きくならなかった。

薪は足りず、囲炉裏は湿っていた。

煙ばかりが立ち、やがて人は離れ、失脚し、すべてが終わった。


けれど、あの火は、消えてしまったのだろうか。


(……いや、熱は、渡った)


老中職を解かれた夜、そう思った気がする。

誰かが、あの火種を拾っていった。

それが、あの阿部だったのかもしれない。



忠邦は机の引き出しから、古びた帳面を取り出した。

在職中には、口述し、記録は他人の筆に任せていた。

だが、今は違う。


もう一度、自分の手で、記しておきたいと思った。


火鉢の灯を頼りに、硯に水を落とす。

墨がにじみ、筆が静かに紙を走る。


「これは、敗者の記である」


最初に綴ったのは、その一文だった。



だが、敗者であることがすべてではない。

熱を渡し、影を背負って終わる者がいてこそ、

次の者が、まっすぐ立てるのだ。


(お前は、燃やし続けられるか)


誰にも届かぬ問いを、忠邦はひとり心のなかで投げかけた。


阿部に。

あの老中に。



筆を置いたとき、ふたたび火鉢がはぜた。

その音は、小さく、だが確かに力を持っていた。


灯火は、終わったわけではない。

誰かが引き継いだ――それでいい。



[ちょこっと歴史解説]


水野忠邦は、幕政において「天保の改革」を主導した中心人物です。

改革の方針は急進的で、贅沢禁止令や物価統制など、庶民や商人からの強い反発も招きました。

やがて、改革の成果を出し切れぬまま失脚します。


失脚後の忠邦は、表舞台から去るものの、なお政治の動向には注意を払っていたとされ、

阿部正弘の老中登用も、その耳に届いていた可能性があります。


この幕間では、かつての改革者が老中の動きを遠くから見つめ、

「終わる者」として、次代の政治へ“静かな思い”を託す様子を描いています。


“灯火を繋ぐ”という構図は、本章を締めくくるにふさわしい余韻を残すはずです。

幕間は2話あります。

今日は、もう一話、投稿します。

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