048A12. 若き老中(連)ー灯火ー
火鉢の中の炭が、赤く静かに灯っていた。
強くもなく、弱くもない。
ただ、燃え続けている。それだけで、夜は少しあたたかくなる。
正弘は、湯呑を両手で包みながら、ゆっくりと吐息をこぼした。
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このひと月、誰かの声に耳を傾け、誰かの名を書き、
誰かの背を押し、誰かの迷いに答えなかった。
すべてが「決断」という名のもとに積み重なった日々。
だが、そのどれもが、確かな手応えとして残っているわけではない。
不安はある。
反発もある。
けれど――
(それでも、火はついた)
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登用された者たちの名は、まだ世間に知られてはいない。
だがその者たちが、互いの存在を知り、目線を交わし、
ときに励まし、ときに沈黙の中で学び合いはじめている。
小さな輪。
微かな連なり。
それらが、見えぬところで政を支える「芯」になるのだ。
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正弘は、湯呑を置き、机の上の灯を見つめた。
火は、消えない。
それは、己ひとりの意志で燃やし続けるものではない。
誰かに灯し、誰かが守り、誰かがまた次へと渡していく。
(そうやってしか、未来は続かないのだ)
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障子の外で、足音がした。
川路だった。
「次の登用候補について、草案が届いております」
「うん……」
返事をしながら、正弘はもう一度、火鉢の赤を見つめた。
そこにあるのは、今の自分だけではない。
過去から繋いできた者たちの灯。
そして、これからを照らす者たちの灯。
(灯火は、続く)
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[ちょこっと歴史解説]
▪️「灯火を渡す」政治 —— 阿部正弘の“静かな改革”
阿部正弘の政治は、**「音を立てずに前へ進める改革」**と称されることがあります。
派手な改革布告をするわけでもなく、誰かを敵と名指しして批判するわけでもない。
けれどその裏では、着実に人を選び、配置し、動きを生み出していました。
この「静かな火」は、のちの幕末において確かに制度改革・開国交渉・人材育成という大きな力になっていきます。
特に阿部の登用策は、「次の世代」を意識したものであり、
“自分一代で終わらせない”という視点を持っていたのが特長です。
この話は、そうした“連なり”を灯火として描き、
第6章「若き老中」の締めくくりとしています。




