048A8. 若き老中(架)ー橋脚ー
雨は、夜明けまでに止んだ。
湿った風が障子の隙間をすり抜けて、白い畳の端をなでていく。
書院にはまだ灯がともっていた。
油の残り香が、消えゆく決意をつなぎとめるように漂っている。
「殿、川路様がお見えです」
そう告げた小姓の声に、正弘は静かに筆を置いた。
⸻
書院の机の上には、何通もの書状が伏せられていた。
どれも、誰かを推挙する内容だ。だが、それらはすべて、机の上で止まっていた。
迷いがあった。
老中として動けば、動いた分だけ、波紋が広がる。
評定所という流れの中に、異質な杭を打てば、水面は濁る。
若き老中が誰かを登用すれば、それは「派閥への牽制」と見なされる。
誰を選ぶか以上に、「なぜ今選ぶのか」が問われるのだ。
(……それでも、流れがあるなら、橋を架けねばならぬ)
信を置ける者がいないなら、つなぐしかない。
己の判断で、信を渡せる足場を打ち込むしかない。
⸻
川路の袴の裾は、道中で濡れたのか、少しばかり湿っていた。
だが、目は冴えていた。眼鏡越しの視線は、曇りなく真っすぐ。
「お呼びでしょうか、老中様」
「うん。急ぎで来てもらってすまぬ」
「構いませぬ。福山以来、殿のお声とあらば」
その物言いに、思わず笑みがこぼれそうになる。だが、それはほんの一瞬のこと。
正弘は机の書状を一通、そっと取り上げた。
「川路。そなたに一つ、問いたい」
「は」
「いまの評定所に、余が信を置ける者は、何人いると思う」
「……言葉を選ばず申し上げれば、さほど多くはございません」
即答だった。迷いがない。
「ならばどうすればよい?」
「作るしか、ございますまい。――信を置ける者を」
その言葉を聞いて、正弘はようやく、机から立ち上がった。
⸻
彼の指がそっと撫でたのは、一通の書状。
まだ白い封に墨がしみこんでいない。だが、名は書かれていた。
「この者を、呼びたいと思う」
川路が頷き、封の名を見た。
彼の目がわずかに見開かれる。
だが、それ以上は何も言わなかった。
正弘は静かに畳の先を見つめる。
⸻
(ここに、初めの橋脚を打つ)
それは、体制の岸と、志の岸とをつなぐ橋。
ただの一通の書状が――老中としての最初の意思表示になる。
小さな登用かもしれぬ。だが、この一歩がなければ、道は生まれない。
背筋を伸ばし、封を自らの手で結ぶ。
「頼んだぞ、川路」
「かしこまりました」
雨上がりの空に、光がわずかに差し始めていた。
⸻
[ちょこっと歴史解説]
▪️「登用」という名の橋脚 —— 阿部正弘の人事戦略
阿部正弘が老中に就任したとき、まだ二十五歳。
それまでの幕政では例を見ない若さで、当然、周囲の重臣たちは半信半疑。彼にとって最初の課題は、「いかにして信頼できる人材を自らのそばに置くか」でした。
阿部は、派手な改革ではなく、“登用”という形で静かに政を動かしていく方法を選びます。
それはまさに、水の流れの中に橋脚を一本一本打ち込むような、地道だが確かな構築でした。
初期に登用された人物として注目されるのが、
•川路聖謨(この時点ではすでに仕えていたが、以後重用)、
•石井宗謙(後に重要な役割を担う儒者)、
•村垣範正(のちに諸外国との交渉にも関わる)
など、後の幕末の布石となる人材たちです。
阿部の人事の特徴は、出自にとらわれず、有能な者を使うこと。
この姿勢が後に「安政の改革」につながり、幕府の延命策として大きな影響を残しました。
本話「架」は、そうした人事の“最初の杭”が打ち込まれた瞬間を象徴的に描いています。




