048?. 若き老中(疑)ー評定所(老)ー
名を呼ばれても、声の温度が変わることはない。
「備中守、どうお考えか」
そう言った自分の声が、他人事のように冷たく聞こえた。
評定所の座敷――
囲む者たちの多くが、黙って様子を伺っている。
若い。
いや、“若すぎる”。
年寄衆の一人として、席につくたびに思う。
この青年の目は、まっすぐすぎるのだ。
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彼は、言葉を選んで話す。
柔らかく、争わぬように、けれども理屈を通そうとする。
だが、政治とは、理屈では動かない。
「物流経路の見直しを――」
「町方に直接的な還元を――」
いちいち、もっともらしい。
だが、あれは“実地”を知らぬ者の語りだ。
水野のような“剛”もなければ、板倉のような“面”もない。
それでも、名を継ぎ、家格があり、才もある。
ゆえに、老中列参となった――それは分かっている。
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ただ、何かが引っかかる。
声が軽いのではない。
動かないのだ、この若者の“足場”が。
諮問のたびに、下を見ず、斜めを見ている。
若者とは、往々にして“時代を見たがる”。
だが――今を動かすには、土を踏まねばならぬ。
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「発言は、慎重に」とだけ返し、議題を次へ送る。
何も間違ってはいない。
ただ、何も通させないだけだ。
正しいだけでは、政は進まない。
この若き老中が、それを理解するまで、
我々は――ただ、動かない。
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――疑いとは、明言しないままに投げられる鎖である。
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[ちょこっと歴史解説]
▪️老中とはどんな役職だったのか?
江戸幕府の政務を担った中心的な役職、それが**「老中」**です。
将軍の名のもとに、政治・外交・軍事・財政などあらゆる政策を議する立場であり、今日で言えば「内閣」のような存在といえるでしょう。
ただし、現代の内閣と違って、老中たちは「合議制」で物事を決めるのが原則でした。個々に得意分野を持ちつつ、全員一致に近い形で進めるため、“空気”や“前例”が非常に重んじられた組織でもありました。
そのため、革新的な案や若い発言者に対しては、「理屈が正しくとも、場の力で押し返される」ことが多々ありました。
とりわけ阿部正弘が老中に就任した**弘化2年(1845年)**は、前任の水野忠邦が失脚した直後であり、幕府内に“もう無茶は許されない”という空気が漂っていた時期でもあります。
この回に描かれた「何も反論されないが、何も通らない」という“疑い”の空気は、まさに当時の老中会議のひとつのリアルです。
幕政とは、時として「正しい」より「通る」が重んじられる――
そんな現実に、若き阿部正弘は最初の一歩から直面していたのです。




