048A3. 若き老中(壁)― 評定所(若)―
阿部正弘は、評定所の廊下を一人、歩いていた。
膝の下に感じる畳の冷たさよりも、背中に集まる“視線”の方がよほど重い。
言葉にはならぬ。
だが、目が語る。
「若すぎる」
「水野の後釜にしては軽い」
「備中守? あの若殿が?」
そんな声が、誰の口から出るでもなく、空気の中に渦巻いていた。
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「それで、備中守のお考えは?」
急に向けられた問いに、正弘はわずかに視線を上げた。
廊下を曲がった先、書院の奥で、複数の老中・若年寄が集まっている。
議題は、江戸市中の物価上昇に伴う町方の救済策――
老中としての初の本格的な評定。
だが、彼の意見に誰も頷かない。
「米の流通を統制するだけでは、根は断てません。江戸への物流経路自体を――」
「……備中守。理屈はわかりますがな」
言葉を遮ったのは、年長の老中の一人だった。
座布団に沈んだその身体が、まるで動かぬ岩のように思えた。
「この場における御発言は、経験と勘をもって重ねたうえでお願いします」
経験。勘。
そして――年齢。
それらが、壁となって目の前に立ち塞がっている。
正弘は、唇をわずかに引き結び、黙して頭を下げた。
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その夜。
邸に戻った正弘は、灯明のもと、静かに筆を取った。
議事録には記されぬ、自らの想いを書くために。
若きは咎なりや。
老いし者のみが、政の正道を知るというのか。
疲れた手で筆を置き、ふと外を見る。
闇の向こうには、城の瓦が微かに月を反射している。
まだ、何もできていない。
けれど、退くことはない。
正弘は立ち上がり、机の上の紙をたたんだ。
それは、自身の弱さと向き合うための、最初の記録だった。
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――壁の向こうには、まだ知らぬ風が吹いている。
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[ちょこっと歴史解説]
▪️若き老中、阿部正弘が直面した“壁”
阿部正弘が老中に就任したのは弘化2年(1845年)、わずか27歳という若さでした。
老中といえば、当時の幕政において最も重責を担う役職。通常は50〜60代の老練な幕臣が務めるもので、20代での就任は極めて異例でした。
彼の前任にあたる水野忠邦が「天保の改革」の失敗で失脚した直後だったこともあり、幕府内には不安と反発が渦巻いていました。
とくに評定所などでは、年長の老中や若年寄から、「若すぎる」「経験が足りない」「理想論ばかりだ」という声が絶えなかったとされています。
しかし、阿部正弘はその中で、むやみに対立するのではなく、“聞くこと”と“記録すること”を徹底しながら徐々に信頼を得ていった人物でもあります。
のちに彼は、人材登用や開国交渉、海防強化など、幕末の礎となる政策を次々と打ち出していきますが、その始まりは、まさに「何も通らなかった若き日々」だったのです。




