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JK老中、幕末って美味しいいんですか?  作者: AZtoM183
6.若き老中
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048A3. 若き老中(壁)― 評定所(若)―

阿部正弘は、評定所の廊下を一人、歩いていた。


膝の下に感じる畳の冷たさよりも、背中に集まる“視線”の方がよほど重い。

言葉にはならぬ。

だが、目が語る。


「若すぎる」

「水野の後釜にしては軽い」

「備中守? あの若殿が?」

そんな声が、誰の口から出るでもなく、空気の中に渦巻いていた。



「それで、備中守のお考えは?」


急に向けられた問いに、正弘はわずかに視線を上げた。


廊下を曲がった先、書院の奥で、複数の老中・若年寄が集まっている。

議題は、江戸市中の物価上昇に伴う町方の救済策――


老中としての初の本格的な評定。

だが、彼の意見に誰も頷かない。


「米の流通を統制するだけでは、根は断てません。江戸への物流経路自体を――」


「……備中守。理屈はわかりますがな」


言葉を遮ったのは、年長の老中の一人だった。

座布団に沈んだその身体が、まるで動かぬ岩のように思えた。


「この場における御発言は、経験と勘をもって重ねたうえでお願いします」


経験。勘。

そして――年齢。


それらが、壁となって目の前に立ち塞がっている。


正弘は、唇をわずかに引き結び、黙して頭を下げた。



その夜。


邸に戻った正弘は、灯明のもと、静かに筆を取った。


議事録には記されぬ、自らの想いを書くために。


若きは咎なりや。

老いし者のみが、政の正道を知るというのか。


疲れた手で筆を置き、ふと外を見る。


闇の向こうには、城の瓦が微かに月を反射している。


まだ、何もできていない。


けれど、退くことはない。


正弘は立ち上がり、机の上の紙をたたんだ。

それは、自身の弱さと向き合うための、最初の記録だった。



――壁の向こうには、まだ知らぬ風が吹いている。



[ちょこっと歴史解説]

▪️若き老中、阿部正弘が直面した“壁”


阿部正弘が老中に就任したのは弘化2年(1845年)、わずか27歳という若さでした。

老中といえば、当時の幕政において最も重責を担う役職。通常は50〜60代の老練な幕臣が務めるもので、20代での就任は極めて異例でした。


彼の前任にあたる水野忠邦が「天保の改革」の失敗で失脚した直後だったこともあり、幕府内には不安と反発が渦巻いていました。

とくに評定所などでは、年長の老中や若年寄から、「若すぎる」「経験が足りない」「理想論ばかりだ」という声が絶えなかったとされています。


しかし、阿部正弘はその中で、むやみに対立するのではなく、“聞くこと”と“記録すること”を徹底しながら徐々に信頼を得ていった人物でもあります。

のちに彼は、人材登用や開国交渉、海防強化など、幕末の礎となる政策を次々と打ち出していきますが、その始まりは、まさに「何も通らなかった若き日々」だったのです。

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