005KR.試問
信用しておらん。
だが、まるきり否定もできぬ。
勝麟太郎とは、そういう弟子だ。
語るに足らぬ者なら、忘れ去ればよい。
だがあやつは、忘れた頃に、こちらの想定を越える言葉を吐く。
ならばこちらも一つ、試してやろう。
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その日の講義には、やや難解な西洋兵学書を用いた。
蘭文は崩してあり、内容も抽象的。
並の者なら、意味をとることさえ苦労する。
「この一節、diepe strategische opstelling(戦略的配置の深さ)――どう解するか?」
私は敢えて、麟太郎を指名した。
あやつは一瞬、面倒そうに目を伏せたが、すぐに顔を上げた。
「戦において、防御線を一つで張るのではなく、退路や補給を確保しつつ、層をもって耐える構えです。地理より、思想の話だと思います」
……言葉は正しい。
だが、それは翻訳書にすらまだ載っていない“解釈”だ。
「何を根拠に、そう言う?」
「……それが一番、勝ち目がある気がして」
まただ。“気がして”――
あやつは、理屈で語らぬ。
理屈の前に、結果を知っている者のように。
その後も続けた。
「艦船の構造において、中央集中式の火器配置は――」
「先生、きっと“制海権”という概念が出てきますよ」
聞いたこともない語を、当然のように口にする。
私は意地になって尋ねた。
「それは、おぬしの夢に出てきたのか?」
麟太郎は、一瞬黙ってから、笑った。
「……さあ。夢だったら、どうします?」
その目は、やはり何かを“見てきた者”の目だった。
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おかしなことに、私は腹が立たなかった。
知りたい、と思ったのだ。
勝麟太郎という男が、どこから来て、どこへ向かおうとしているのかを。
[ちょこっと歴史解説]
佐久間象山
信州松代藩出身の思想家・兵学者。
西洋の科学技術・軍事理論を積極的に取り入れ、「東洋道徳・西洋芸術」を説く。
時に尊皇攘夷派から危険視されるも、その学識と器量は一目置かれた。
25/7/29 strategic depth (英語)=>diepe strategische opstelling(戦略的配置の深さ)(オランダ語)に変更




