048I. 若き老中(黙)ー埋木舎(うもれぎのや)にて
庭に腰を下ろした直弼の耳に、春の風がひと声を運んできた。
「――備中守が、老中に?」
遠く、表の書院。兄・直亮の声だった。
会話の相手まではわからない。けれど、襖を隔てた静かな応酬の中で、その名だけがはっきりと耳に残った。
「年が……まだ二十七とか。だが、よく通ったな。水野のあとを継ぐには、骨が折れように」
続く低い声。兄が客人にそう答えたのだろう。
直弼は、枝に新芽を見つけながら、そっと手の中の茶碗を拭き続けた。
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兄の背中は、遠い。
それは、地位でもなく、政務でもなく、“見える景色”の違いだった。
表の書院にいる人々は、今日の政を語る。名を交わし、人を評する。
自分は、庭の陰にいて、声を聞くだけ。
それでよいのだ。もとより、そのためにここに生まれてきたわけではない。
そう思いながら、ふと風が過ぎる音にまぎれて、兄の声がもう一つ聞こえた。
「……時代が変わりつつある。我々も備えねばなるまい」
備える――誰が。何に。
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茶碗を布に包み、直弼はゆっくりと立ち上がった。
埋木舎の奥、小さな書き物机の前に座る。
硯に水を差し、墨を摺る音がかすかに響いた。
筆先が紙に触れる。静かに、淡々とした筆致で数文字を記す。
備中守、老中列参。
年二十有七。名、軽きにあらず。
それを書き終えたあとも、直弼はしばらく墨の余熱を見つめていた。
風が一筋、机上の白紙をめくる。
その先には、まだ誰の名も書かれていない空白。
(名は、いつか重みをもって返ってくるものだ)
誰にも言わず、誰にも見せず。
彼は筆を拭い、紙を畳み、机の奥にしまった。
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庭の梅が一輪、ほころびかけている。
まだ寒い風の中で、それは誰にも見られぬまま、静かに咲いていた。
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[ちょこっと歴史解説]
埋木舎の人・井伊直弼
井伊直弼は、彦根藩第15代藩主となる前の長い期間を、**「部屋住み(へやずみ)」**という立場で過ごしていました。
部屋住みとは、藩主の子でありながら家督を継がず、家中で公式な役職にも就けない境遇のことです。直弼は、藩主・井伊直中の十四男という家柄上、藩政とは無縁のまま江戸上屋敷の一角にある**「埋木舎」**で暮らしていました。
直弼はその日々を「埋もれ木のやの下風に、吹かれつつある身」と自ら詠み、まるで表舞台に出ることなく朽ちていく木のようだと重ね合わせています。しかし実際には、武道・茶道・詩歌・仏道などに深く通じ、内面の研鑽を重ねていた人物でもありました。
彼が藩主となるのは1848年(嘉永元年)。兄・直亮の急逝を受けて、思いもよらぬ形で家督を継ぐことになります。
この時、井伊家では候補者が他におらず、長らく隠遁していた直弼に白羽の矢が立ったのです。
1845年当時、阿部正弘が老中に就任した頃、直弼はまだその「埋木舎」にあり、政局を遠くから見つめていました。
この幕間で描かれるのは、その表には出ない者が、確かに“時代の名”を心に刻んだ瞬間です。
ここまで、一連の話としての投稿です。
正弘の老中就任に対する周りの期待、様子見の回となります。次は、正弘の立場に戻ります。




