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JK老中、幕末って美味しいいんですか?  作者: AZtoM183
6.若き老中
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048A. 若き老中(起)ー決意の朝

朝の光が、障子の向こうから静かに滲んでいた。

けれど、それを美しいと感じる余裕は、まだなかった。


背筋を伸ばして座る。それだけで、胃のあたりに薄く力が入ってしまう。昨夜は眠ったはずなのに、身体のどこかが浮いているようだった。


老中。


昨日から、もうそれが自分の肩書きだ。

老中って、なんなんだろう。

……正直、まだ、ぜんぜん分からない。


「お目覚めでございますか、殿」


襖の向こうから、控えの家臣の声が響く。

いつも通りの呼びかけ。でも、今日はそのひと言が胸にひっかかった。


「……はい、すぐに参ります」


声が少し上ずっていた。自分で気づくくらいには。



朝餉の膳には、昨夜と変わらぬ白米と、焼き魚と、菜の漬物が並んでいた。

けれど、箸を持つ手には、昨日までとはまるで違う重みがかかっている。


向かいに座る父――阿部正寧あべ まさやすは、いつものように静かに茶を啜っていた。


正寧は、家督を譲って久しい。藩の政務からは退いたものの、幕府の老中としては、つい最近まで政にあたっていた。

今は屋敷で静かに過ごす日々が続いているが――その背に宿る重みは、変わらぬままだった。


家中の者たちは、いまだに彼を「お館様」とひそかに呼ぶ。


父は、何も言わない。

だがその沈黙が、かえって重たい。


(何か言ってほしいのに)


そんな思いを、無意識に抱いてしまう自分が、子どもじみていて嫌になる。


「……昨日のこと、父上は……」


言いかけて、また口をつぐんだ。


老中になった。

この家で、自分が一番重い役目を負う立場になった。

でも、それをどう語ればいいのかが、まだ分からない。


沈黙が流れた。


茶をひとくち啜った父が、ゆっくりと膳の向こうから言った。


「……食べて、出なさい」


それだけだった。


「はい、父上」


声は、少し震えていたかもしれない。

でも、自分でも驚くほどに、すっと胸の奥に届いた。


茶碗を手に取り、ひと口食べる。

ごはんの温かさが、ようやく身体に入り込んでくる。



支度を整え、帯を締め直す。

まだ心はふわふわしていたが、それでも――


(何をすればいいか、まだ分からない)

(でも……分からないまま、何もしないわけにもいかない)


少なくとも、自分は老中になった。

だったら、せめて――自分のやりたいように、やってみよう。


やるだけ、やってみて。

分からないなら、分かる人に聞けばいい。

できないなら、できる人に頼めばいい。


そう思った瞬間、ようやく足の裏が、畳を確かに感じた気がした。



屋敷の門をくぐりながら、正弘は、ほんの少しだけ、口元を引き締めた。


新しい一日。

初めての朝。

そして、初めての“自分のまつりごと”。


始まりの音は、まだ聞こえていない。

でも、自分の胸の中では――確かに、何かが、鳴っていた。




[ちょこっと歴史解説]


▪️阿部正弘の老中就任と若さ


阿部正弘は、天保14年(1843年)、わずか25歳という若さで老中に抜擢されました。

通常、老中は中年以降のベテランが就く役職であり、この抜擢は異例中の異例でした。


背景には、天保の改革後の混乱、老中の交代、開明的な視野を持つ人材の必要性などが重なっており、阿部はその清廉さと柔軟な思考で注目されていたのです。


当初は“飾り”と見る向きもありましたが、正弘はまもなく真価を発揮していきます。

人材登用、情報政策、外交問題への柔軟な対応など、後の開国体制の礎となる方針を次々に打ち出し、若さゆえのしなやかさと清廉さが、多くの支持を集めました。


彼の就任は、保守と改革のはざまで揺れる幕府にとって、大きな転換点となります。

正弘自身がその責任の重さを意識していたことは、のちの言動や日記などからも読み取ることができます。


この拝命は、幕末という激動期の一つの「転換点」として、後世からも高く評価されています。

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