048A. 若き老中(起)ー決意の朝
朝の光が、障子の向こうから静かに滲んでいた。
けれど、それを美しいと感じる余裕は、まだなかった。
背筋を伸ばして座る。それだけで、胃のあたりに薄く力が入ってしまう。昨夜は眠ったはずなのに、身体のどこかが浮いているようだった。
老中。
昨日から、もうそれが自分の肩書きだ。
老中って、なんなんだろう。
……正直、まだ、ぜんぜん分からない。
「お目覚めでございますか、殿」
襖の向こうから、控えの家臣の声が響く。
いつも通りの呼びかけ。でも、今日はそのひと言が胸にひっかかった。
「……はい、すぐに参ります」
声が少し上ずっていた。自分で気づくくらいには。
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朝餉の膳には、昨夜と変わらぬ白米と、焼き魚と、菜の漬物が並んでいた。
けれど、箸を持つ手には、昨日までとはまるで違う重みがかかっている。
向かいに座る父――阿部正寧は、いつものように静かに茶を啜っていた。
正寧は、家督を譲って久しい。藩の政務からは退いたものの、幕府の老中としては、つい最近まで政にあたっていた。
今は屋敷で静かに過ごす日々が続いているが――その背に宿る重みは、変わらぬままだった。
家中の者たちは、いまだに彼を「お館様」とひそかに呼ぶ。
父は、何も言わない。
だがその沈黙が、かえって重たい。
(何か言ってほしいのに)
そんな思いを、無意識に抱いてしまう自分が、子どもじみていて嫌になる。
「……昨日のこと、父上は……」
言いかけて、また口をつぐんだ。
老中になった。
この家で、自分が一番重い役目を負う立場になった。
でも、それをどう語ればいいのかが、まだ分からない。
沈黙が流れた。
茶をひとくち啜った父が、ゆっくりと膳の向こうから言った。
「……食べて、出なさい」
それだけだった。
「はい、父上」
声は、少し震えていたかもしれない。
でも、自分でも驚くほどに、すっと胸の奥に届いた。
茶碗を手に取り、ひと口食べる。
ごはんの温かさが、ようやく身体に入り込んでくる。
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支度を整え、帯を締め直す。
まだ心はふわふわしていたが、それでも――
(何をすればいいか、まだ分からない)
(でも……分からないまま、何もしないわけにもいかない)
少なくとも、自分は老中になった。
だったら、せめて――自分のやりたいように、やってみよう。
やるだけ、やってみて。
分からないなら、分かる人に聞けばいい。
できないなら、できる人に頼めばいい。
そう思った瞬間、ようやく足の裏が、畳を確かに感じた気がした。
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屋敷の門をくぐりながら、正弘は、ほんの少しだけ、口元を引き締めた。
新しい一日。
初めての朝。
そして、初めての“自分の政”。
始まりの音は、まだ聞こえていない。
でも、自分の胸の中では――確かに、何かが、鳴っていた。
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[ちょこっと歴史解説]
▪️阿部正弘の老中就任と若さ
阿部正弘は、天保14年(1843年)、わずか25歳という若さで老中に抜擢されました。
通常、老中は中年以降のベテランが就く役職であり、この抜擢は異例中の異例でした。
背景には、天保の改革後の混乱、老中の交代、開明的な視野を持つ人材の必要性などが重なっており、阿部はその清廉さと柔軟な思考で注目されていたのです。
当初は“飾り”と見る向きもありましたが、正弘はまもなく真価を発揮していきます。
人材登用、情報政策、外交問題への柔軟な対応など、後の開国体制の礎となる方針を次々に打ち出し、若さゆえのしなやかさと清廉さが、多くの支持を集めました。
彼の就任は、保守と改革のはざまで揺れる幕府にとって、大きな転換点となります。
正弘自身がその責任の重さを意識していたことは、のちの言動や日記などからも読み取ることができます。
この拝命は、幕末という激動期の一つの「転換点」として、後世からも高く評価されています。




