047A. 密やかな打診
「御用部屋にて、水野様がしばし控えておられるとのこと――」
小姓の言葉に、正弘はわずかに眉を動かした。
その名を聞けば、自然と背筋が伸びる。
かつて改革の急先鋒と呼ばれたその人は、いまや評定所の重鎮として、沈黙の中に影響力を持つ存在だった。
(動くなら、今しかない)
正弘は筆を置き、静かに立ち上がった。
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「備中守。いつになく、きびきびしておられるな」
控えの間で水野忠邦はふっと笑った。
かつての峻厳な眼差しはやや和らいで見えるが、その奥にあるものは変わっていない。
「僭越ながら、一つ、ご相談がございます」
「ほう?」
正弘は、懐から書状を取り出した。
奉行人事に関する覚書――それ自体は正式なものではない。だが、数名の人材の登用を、それとなく示すものだった。
「この者たちを、江戸市中の下調べや、町政の刷新に加えたく思っております。いずれ、遠国筋にまで目を配る必要もありましょうから――」
水野は書面に目を落とし、しばらく無言でいた。
視線が紙上を滑っていく音が聞こえるような沈黙。
やがて、静かに口を開く。
「……面白い目をしておる者も、混じっておるな」
「はい。才を持ちながら、まだ用いられていない者たちです」
「なるほど。……だが、備中守」
水野はふと視線を上げた。
「人は刀と違って、ただ鋭ければ良いとは限らぬ。振るう手が未熟では、己をも傷つける」
正弘はその言葉を静かに受け止め、深く頭を下げた。
「肝に銘じます」
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部屋を辞して歩きながら、正弘は胸中に言葉を繰り返した。
(人を使うとは、己を映すこと――)
その日、風は冷たかった。
だが、心の奥には、確かに火が灯っていた。
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[ちょこっと歴史解説]
▪️天保の改革後の幕閣人事と阿部正弘の登用感覚
天保の改革(1841〜43年)を主導した水野忠邦は、改革の挫折後も老中として幕府の中枢にあり続けました。
その後の阿部正弘は、若年寄として着任するなり、水野の陰で密かに人材の登用を進めていきます。
阿部は、開明的かつ実務に長けた人物を好み、旗本や下級武士、学者層からも広く人材を見出しました。
このような登用の姿勢は、のちの開国期においても彼の政務スタイルの柱となっていきます。




