表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
46/155

041A. 声なき声

「……では、町触の修正案は、御三方の方で改めて詰めていただくとして」


老中の一人がそう言って場を収めると、評定所の空気はふっと緩んだ。


正弘は、沈黙のまま筆を置いた。若年寄として会議に列席してから数ヶ月。いまだ発言は少ない。


だが今日――妙なことが、ひとつ。


三たび、意見を求められたのだ。


「阿部殿、そなたの考えは?」


そう聞かれたとき、他の席から視線が流れた。

拒絶でも期待でもない。ただ、**「測っている」**ような目だった。


正弘は即答せず、少しだけ考えてから、無難な見解を述べた。


会議の場はそれで流れた。

だが――(なぜ、私なのだ?)という疑念だけが、心に残った。


「最近、よく声をかけられますね」


登城帰り、家臣の一人がぽつりと言った。


「御意見、御参考までにと、何度か問われたのを拝見しております」


「……そうか」


「誉れにございますな」


正弘は笑わなかった。ただ頷いた。


(問われる声がある。だが、命じる声ではない)


誰も彼を選んだとは言わない。

だが、何かが“備えられている”気配がある。まるで、誰かがまだ鳴らされぬ太鼓を見ているような。


夜。屋敷の書院で、父・正寧と向かい合う。


「何か……あるのかもしれません」


「何が?」


「……水面の下で、何かが動いている気がするのです」


正寧は茶を口に運び、静かに目を伏せた。


「お前に問うてきた者たち。それは評価ではない」


「では?」


「試しだ」


「……」


「まだ答えるな。問いに問われて、己を問え。それが政に生きるということだ」


蝋燭の炎が、ふっと揺れた。

正弘はその揺れの中に、言葉にならぬ声の気配を感じた。


夜更け、帳面に一行記す。


《声に出ぬ声を、聞くべきとき》


筆先が紙をすべった。


まもなく春になる。



[ちょこっと歴史解説]

▪️老中は、どうやって選ばれるのか?


江戸幕府において、「老中」は政務の中枢を担う重職であり、名実ともに幕政の最高責任者であった。だがその登用方法は、現代のように公募もなく、定まった選出基準も存在しない。


では、どうやって選ばれていたのか――。


老中の人事は、最終的には将軍の任命によって決まる。だが、実際には**「見られること」「試されること」「声には出されない評価」**の積み重ねによって、候補者は絞られていく。


たとえば、若年寄や側用人といった中堅の役職にある者が、日々の会議でどのように発言するか。意見が的確か、言葉に重みがあるか、年長者の信を得られるか――そうした日常的な姿勢や振る舞いが、無言のうちに“評価”として蓄積される。


また、老中職は複数人制であるため、**「今の老中たちとどう補完しあえるか」**という相性や政治的バランスも考慮される。派閥や出自の問題も絡み、単に能力だけでは昇進できないことも多かった。


特筆すべきは、本人に「候補である」と知らされることは基本的にないという点だ。

ある日突然、将軍からの命により、辞令が下される。

そのとき、断れる者はほとんどいない。なぜなら、それは個人の栄誉というより、家と旗本社会全体の「義務」として課せられるものだったからだ。


「老中にふさわしい人物」とは、常に、声なき声の中で選ばれていたのである。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ