036KT. 静かなる勘定所
「米相場、下がらず……か」
紙を一枚めくりながら、川路聖謨は短くつぶやいた。
眼前に積み上げられた報告書――江戸市中、各地の米価、薪炭、魚類、酒類、それぞれの値。
書式は整っている。数字にも不備はない。だが、そのどれもが、目を通すたびに川路の眉間をわずかに曇らせた。
「これでは、帳面の中だけ景気回復……ですな」
隣でぼやいたのは、年嵩の勘定方。川路は応えず、ただ次の報告書を取る。
勘定吟味役頭取。幕府財政の中枢を預かる実務の要職。
武士であると同時に、会計士であり、行政マンであり、時に調停者でもある。
その川路がいま、最も困っていたのは、命じられる施策が、現実に追いついていないということだった。
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「上からは、流通を整えろとおっしゃる」
「米蔵の積み増しは?」
「積めと言われますが、出入りを止めれば江戸が止まります。民の目は敏くなっております」
「江戸城は、遠いな」
若い役人が小さくつぶやいた。
川路は何も言わない。ただ、その若者が退室した後、ふうと小さく息をついた。
(遠いのは、場所ではなく、声だ)
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夕刻。
川路のもとに、一通の文が届く。出島・長崎からの写し。
――オランダ国王ウィレム二世から、江戸幕府への親書。
写しと訳文は丁寧にまとめられていた。通商再開の勧め、鎖国政策への緩やかな批判、平和的関係の呼びかけ。
川路は目を通しながら、まばたきを忘れていた。
「これが、今……か」
筆を取り、日誌に一行を記す。
《弘化元年、オランダ国書届く。静かにして、重し》
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夜。帰宅しても、帳面を閉じることはない。
灯火の下、川路は静かに書き続けていた。
米の記録、物価の推移、そして、親書の写しの内容。全ては彼にとって「未来に残すべき証」であり、「考えるための道具」だった。
(この国は、いつまでも今のままでいられるのか)
蝋燭の火が揺れ、外では風の音がした。
だが彼の筆は、止まらなかった。
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[ちょこっと歴史解説]
▪️オランダ国王の親書と、開国の“兆し”
弘化元年(1844年)、オランダ国王ウィレム二世が日本に宛てて送った親書は、公式には「通商を通じた友好の呼びかけ」であったが、その実質は開国の勧めであった。
オランダは、日本にとって唯一の西洋との貿易窓口であり、その信頼関係を保ちながらも「世界の潮流に目を向けよ」と、静かに背中を押す内容だった。
幕府内ではこの書状を「長崎奉行」経由で受理し、老中に報告されたが、明確な返答は避けられた。
しかし、情報を記録し、次代に活かす者たち――川路のような“静かな目撃者”たちは、これを深く受け止めていた。
江戸幕府が外圧にどう向き合うか。その端緒は、すでにこの時期、静かに始まっていたのである。




