032A. 渦のあとで
朝の書院に、風の音がかすかに入り込んできた。
庭の梅がほころびかけている。
阿部正弘は、帳面を閉じて立ち上がった。
今日は筆を取らなかった。書くべきことはある。だが、書いてはいけないこともある。
「水野様、病がちとのことですが……」
控えの間で誰かが言った。
声の主はわからない。けれど、その響きには妙な湿り気があった。
哀れみか、憐れみか、それとも――安堵か。
「――嵐のあとのようだな」
ぽつりと口をついた言葉に、隣にいた年配の書役が振り向く。
「なんと?」
「いえ。……何でもございません」
この数年、幕府は確かに動いていた。
倹約、風紀、上知、統制――
“改まる”という言葉のもとに、多くのものが変えられた。
けれど、気がつけば、その嵐の中心にいた人物の姿は、徐々に霞んでいた。
命令が減ったわけではない。
だが、誰も“従って”いなかった。
形だけが残り、心が離れていく――そんな政の終わりを、正弘は感じ取っていた。
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その夜、屋敷に戻ると、父・正寧が縁側に座っていた。
焚きしめた香の匂いと、炭火の音。
障子の向こうで、静かな時間が流れていた。
「……水野殿も、これまでか」
父の言葉は淡々としていた。
「改革とは、旗を立てるものではない。地を掘ることだ。
派手に振りかざす者は、最初は目を引くが……根がなければ倒れる」
「政とは、そういうものなのですね」
「そして、次の者には、“その倒れた根の跡”が残る」
正弘は何も答えなかった。
だが、胸の奥に重くのしかかるものがあった。
父の背を見つめながら、自分の足元を見下ろす。
まだ根は張っていない。
けれど、踏みしめる場所は、確かにあった。
「……記しておきます。すべて」
そう呟いた声に、父は振り向きもせず、ただ「うむ」とだけ応えた。
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[ちょこっと歴史解説]
▪️改革の限界と側用人の不信
天保の改革が限界を迎えるのは、水野忠邦が老中として持つ「理念」と「現実」の乖離ゆえでした。
政策としての正しさがあったとしても、それを支える“人の輪”がなければ政は成り立たない。
特に上知令や風俗取締といった施策は、同僚老中や側用人の間にさえ不信を呼び、
水野の孤立を加速させました。
本話では、改革の“頂点”に立ちながらも、その足元から静かに崩れていく感覚――
そして、「椅子に座る者」だけが感じる重圧と孤独を描いています。
水野忠邦は、決して愚かな人物ではなかった。
ただ、「前へ進む強さ」が、「共に進む柔らかさ」に欠けていたのかもしれません。
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天保の改革は、水野忠邦の個人的力量と信念によって進められたものでした。
しかし、その反発の大きさ、政治的な調整力の不足から、やがてその動きは停滞し、彼は失脚へと追い込まれます。
この「渦のあと」、政治の場には一種の“空白”が生まれます。
その空白に、一歩ずつ入っていこうとしていたのが、阿部正弘でした。
まだ彼は動きません。
けれど、記録し、聞き、そして考えていた。
それが後に、老中としての大胆さと静謐さを兼ね備えた彼の政治へとつながっていくのです。
政の“中心”は、声が大きい者のもとにあるとは限らない。
嵐が去ったあと、風の流れを読んでいた者が、次の扉を開ける――
その始まりが、まさにこの回です。




