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JK老中、幕末って美味しいいんですか?  作者: AZtoM183
3.蛮社の獄
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020KR.雑司ヶ谷の空

(空が、やけに高い)

雑司ヶ谷の屋根の隙間から見える春空を、勝麟太郎――いや、かつての高校生は、黙って見上げた。


米がない。

醤油も薄い。

魚は……骨だけ。


「崋山って人の本、あれ……また仕舞うの?」

妹のことが気になるのか、それとも父の顔色か。

母が手を止めずに聞く。


「うん。しばらく、出さないほうがいい」

父は短く答えた。机の上の帳面に筆を走らせたまま。

見れば、あの**『慎機論』**が布に包まれて、棚の奥に押し込まれていく。


麟太郎は唇を噛んだ。

それは、ただの“本”ではなかった。


彼の中には、現代の教科書で見た名前が並んでいた。

崋山。長英。異国と向き合おうとした、江戸の知識人たち。


(この人たちは……何が罪だったんだ?)


声に出さない問いが胸の中で渦巻く。

この世界では、“語る”ことが危うい。


「おまえも、そろそろ気をつけろ」

父がふと、そう言った。


「……何をですか?」


「口だよ。おまえの話しぶりは、どこかおかしい。異国の書ばかり読んでるせいかもしれんが」

「人は、知識より“空気”で裁く」


(それ、いちばん苦手なやつ)

心の中で、現代語でつぶやく。


その夜、勝は古い紙を一枚取り出し、ペンならぬ筆を走らせた。

彼の中では、まだ“書く”という手段が唯一の抗いだった。


渡辺崋山、田原藩。高野長英、蘭学者。

言葉によって処される時代に、言葉を書き残すのは、矛盾か、それとも……誠か。


灯火が揺れた。


(いつか、俺も声を上げる。今はまだ、その時じゃない)

(でも、そのために、覚えておく)


雑司ヶ谷の空は、相変わらず高かった。

そして、黙って見ている者だけが、時代を生き残るのかもしれないと思った。



[ちょこっと歴史解説]

渡辺崋山と『慎機論しんきろん


渡辺崋山わたなべ・かざんは、田原藩(現在の愛知県東部)に仕えた武士であり、画家であり、そして優れた蘭学者でした。

彼が著した『慎機論しんきろん』は、天保8年(1837年)のモリソン号事件に対する理性的な批判文であり、後に「蛮社の獄」で処罰される直接のきっかけとなった文書でもあります。



『慎機論』とは?


タイトルの意味:

「慎機」とは、機(=動き・変化・時機)を慎む=軽々しく動かぬよう戒めるという意味。

しかし実際には、「理性と誠意に基づき、現実を見据えよ」と主張する、冷静で実践的な対外政策論でした。



内容の要点(現代語訳的要約)

1.異国の来航には理由がある

 → 異国船は単なる侵略者ではなく、交易や交流を求めてきている可能性もある。すべて砲撃するのは非合理。

2.対話の準備をせよ

 → まず言葉(語学)や制度の違いを学ぶべき。むやみに排斥するのではなく、備えることが肝要。

3.海防とは軍事力だけではない

 → 知識・情報の整備と、相手の事情を理解することも防衛につながる。

4.学問と忠誠は両立できる

 → 開国論ではなく、むしろ「幕府が誤らぬよう進言する忠義」こそが、学者の役割である。



何が問題視されたのか?


『慎機論』は出版されていない非公開の意見書でした。

つまり、崋山が「藩主への進言」として書き残したものが、何らかの経路で江戸幕府に知られ、

幕政批判と見なされたのです。


南町奉行・鳥居耀蔵はこれを、思想統制の名のもとに問題化し、蛮社の獄の発端としました。



その意味と重み


『慎機論』は、単なる政治評論ではなく、知識人が時代に誠実であろうとした記録です。


作中で勝麟太郎が触れたこの書物は、

「声を上げた者が裁かれた時代」において、

「学ぶ者の沈黙」と「いつか語るための記憶」を象徴する一冊として描かれます。

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