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JK老中、幕末って美味しいいんですか?  作者: AZtoM183
3.蛮社の獄
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017KT.静かなる食卓の向こうに

「……これ、何の味だろうな」


川路聖謨は、箸を止めた。

目の前の椀の中身は、ほぐした干し大根と粥。味噌も極端に薄い。


一口含んで、しばらく噛む。

塩気の代わりに、口の中に残るのは、奇妙な空虚感だった。


「質素というより、もうほとんど“補給”だな……」


ぼそりと呟いたが、周囲の配膳係たちは誰も反応しなかった。

そりゃそうか、と思い直して、川路は口をつぐむ。


江戸城の奥まった一室。中堅の役人にあてがわれる仮住まい。

食事は当番制でまわってくるが、今日のものは特に“実用的”だった。


ふと、机の脇に積んだ帳簿に目が行く。

「蔵米放出 目録」「米価変動一覧」「各地打ちこわし報告」――


その中にあった一枚の紙に、指先が止まった。

「天保九年、越後・会津にて自死者多数」とある。


(これ、ただの“数”じゃないんだよな)


川路は小さく息をつき、帳簿の背を閉じかけたとき――


「川路殿、食事中か?」


不意に襖の向こうから声がかかった。

開けて入ってきたのは、勘定方上席・堀田内蔵助。

白髪交じりのきっちりとした官吏で、数字の処理に定評がある人物だ。


「あ、いえ。ちょうど一段落したところです」


川路が立ち上がりかけると、堀田は手を振って制した。


「構わぬ。……蔵米の報告、越後分が届いた。先の写しと照合して、今夕中に整理しておいてくれ」


「……は、承知しました」


(今夕中って……この飯のあとすぐってことか)


「それと、町方からの打ちこわしの件、死者数が上乗せになっている。

先ほどの“会津・28名”は、今朝で“34”になったそうだ」


「……それは、民の騒動によるものですか?」


堀田は首を横に振る。


「いや。寒さと餓えで、列から外れた者が倒れたとのこと。病死に近い。

……まったく、数字が動くたびに書式を直さねばならん。役所というのは実に面倒だ」


にこりともせず、堀田は帰っていった。


残された川路は、ただ一人、机の上の「34」という数字を見つめていた。


(それは、“6人分の命”だろ……)


川路は茶碗の粥を一口すすった。

先ほどより、味がしない気がした。



[ちょこっと歴史解説]

▪️「打ちこわし」という叫び


本編中で、川路が目にした「打ちこわし報告」。

それは天保の飢饉期に、江戸や各地で現実に起きていた騒動です。


「打ちこわし(打毀)」とは、民衆が集団で米屋・質屋・商家などを襲い、

倉庫や店舗を破壊したり、物資を奪ったりする行為を指します。

一見すると暴徒のようですが、その根底にあるのは――飢え、絶望、そして怒りです。


天保の大飢饉(1833〜1839年)では、米価が高騰し、庶民は食うや食わずの生活を強いられました。

にもかかわらず、一部の商人や問屋は米や味噌を買い占めて高値で売るなどの行為を行っていました。


これに対し、民衆は「生活のため」に自発的に集まり、店を破壊し、商品を“取り戻す”のです。

幕府はこれを「騒擾そうじょう」や「非行」とみなし、武力で鎮圧しましたが、

実際には「年貢も払っているのに食えない」という正当性のある抗議運動と見る向きも多くあります。


特に1836〜1837年にかけては、江戸市中でも米屋や質屋が標的となる打ちこわしが相次ぎ、

幕府は御用米の放出、物価統制などで対応を迫られました。

しかしそれでも、苦しんでいた人々の「声」は、記録の中では“騒動”や“死者数”という数字に変わって残されるだけでした。


その数字を淡々と処理する川路聖謨。

けれど彼の心の中では、「この数字の裏に何があるのか?」という問いが、確かに芽生え始めていたのです。


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