― 阿部正弘という人物 ―
阿部正弘
(あべ まさひろ/1819–1858)
阿部正弘は、
幕末期における幕府老中の中でも、
比較的若くして政権中枢を担った人物である。
天保十四年(1843)、
老中に就任。
当時、まだ二十代半ばであった。
彼の政治姿勢は、
一貫して「合議」と「調整」に基づいていた。
従来の幕府政治が重視してきた
専断や前例主義ではなく、
•諸藩の意見を集める
•幕臣・有識者の知見を取り入れる
•外様大名の発言力も一定程度認める
といった、
当時としては異例の開かれた政の形を選んだ。
嘉永六年(1853)、
アメリカ艦隊の来航を受け、
幕府はかつてない対外危機に直面する。
この局面において阿部正弘は、
•戦争回避を最優先とし
•情報と時間を確保することを重視し
•和親条約という形で事態を収束させた
その結果、
嘉永七年(1854)、
日米和親条約が締結される。
この判断は、
当時から賛否が分かれ、
後世においても評価が一様ではない。
しかし確かなのは、
この時点での日本が、
•軍事
•財政
•技術
いずれにおいても、
本格的な対外戦争に耐えうる状態ではなかった、
という事実である。
和親条約後、
阿部正弘はなおも政の中心に立ち続けたが、
国論の分裂は次第に深まり、
通商条約をめぐる判断は、
彼の政治手法の限界を超えつつあった。
安政五年(1858)六月、
阿部正弘は病により死去。
享年三十九。
その二日後、
日米修好通商条約が調印される。
彼は、
その決断の結果を、
見ることなく世を去った。
阿部正弘の政治は、
「成功」でも「失敗」でもなく、
役割であったと捉えることができる。
合議と調整によって
場を壊さぬことを最優先した政治。
それは、
ある時代までは有効であり、
ある時点からは、
次の形へ引き渡されるべきものだった。
この章で描いたのは、
その「引き渡し」の瞬間である。
これが200話目になりますね。。。




