001A.あべまさひろって誰ですか?
目を開けた瞬間、私は思った。
(え、ここどこ?)
天井は木の梁。畳。ふすま。
布団はやけに分厚くて、敷き布団がふかふかすぎて、沈む。
(旅館……じゃない。ていうか、静かすぎない?)
起き上がろうとしたら、違和感。
腕が細いのに、手がゴツい。
喉に力を入れたら――
「うわっ……」
出た声が、明らかに男子だった。
中学生か高校生くらいの、ちょっと高めの男の子ボイス。
(……え、なにこれ、なんで私、声変わってんの!?)
⸻
「まさひろ様、お目覚めですか!」
ふすまが開いて、若い女性が飛び込んでくる。
着物。きれいに結い上げた髪。
完全に、江戸時代の人みたいな出で立ち。
「ご気分はいかがでございますか。ああ、熱が下がられて……」
(ちょ、待って、“まさひろさま”?)
私は思わず聞き返した。
「あの……まさひろ様って、私のことですか……?」
女性は小さく笑って、うなずいた。
「はい。阿部伊勢守正寧公の三男、正弘様にございます」
(……阿部、正弘?)
聞いたことがある。どこかで。
社会の教科書。幕末?
でも、それだけ。
(誰だっけ……? ていうか、なんで私がその人なの!?)
⸻
鏡を見せてもらった。
そこにいたのは、14~15歳くらいの少年。
細身だけど、凛としてて、どこか“武家の子息”って感じ。
(これが……私!?)
目の奥に、さっきの鳥居の映像がよぎる。
修学旅行。伏見稲荷。願い事。事故。――そして、転生。
(マジで、“あの時の願い”が叶ったってこと?)
「歴史に残る人生、ちょっと体験してみたい」
そんなノリで言ったあのセリフが、現実になってしまったのかもしれない。
(いや、ほんとに来る!? こういう展開!?)
⸻
美鈴と名乗ったその女性が、やわらかい声で言う。
「記憶の混乱が残っておられるようでしたら、しばし静養を。ご当主様にもそうお伝えしてあります」
(……やばい、これ、しばらく“バレないように生きなきゃ”じゃん)
でも正直、なによりヤバいのは――
(“阿部正弘”って、何やった人なのか、ぜんぜん知らない……
……たしか、歴史の授業で……えーっと……総理大臣、だっけ?)
[ちょこっと歴史解説]
阿部正弘――江戸時代後期の幕臣。
わずか十四歳で家督を継ぎ、十七歳で政務に就き、二十五歳で老中(幕府の最高政務職のひとつ)に就任。
黒船来航や開国交渉など、激動の時代を支えたキーパーソンのひとり。
なのに、歴史の教科書では地味ポジション。
そんな彼に、現代の女子高生が転生してしまったら……?