164I 引き受けるもの
静かだった。
井伊直弼は、
庭に落ちた影の位置を、
しばらく眺めていた。
動いているのは、
光だけだ。
人ではない。
動かぬまま、
事が進む時がある。
そのことを、
井伊は知っていた。
阿部正弘の名が、
表に出なくなっている。
それは、
噂でも、
不安でもない。
事実だった。
均す者が、
前に立たなくなった時、
場は、
静かに傾く。
まだ、
崩れてはいない。
だが、
支えが、
別の場所を求め始めている。
井伊は、
書付に目を落とした。
意見は、
どれも正しい。
同時に、
どれも、
今を終わらせる力を持たない。
切れば、
割れる。
割れれば、
収まらない。
だが、
切らねば、
進まない。
(……選ぶ、ということか。)
そう考えて、
否定した。
選ぶ、ではない。
残す、でもない。
引き受ける、だ。
正しさを、
引き受けるのではない。
結果を、
引き受ける。
責めを、
引き受ける。
それが、
この先に必要な役割だと、
理解している者は、
まだ、
少ない。
井伊は、
筆を取らなかった。
名を出すには、
早い。
だが、
退く理由は、
もう、
どこにもなかった。
均す政治は、
ここで終わる。
終わらせた者が、
誰であったかは、
問題ではない。
問題なのは、
終わった後を、
誰が引き受けるか、
それだけだ。
井伊は、
庭から視線を戻した。
まだ、
前には出ない。
だが、
戻れる道も、
残さない。
引き受ける前に、
逃げ道を、
すべて、
消した。
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[ちょこっと歴史解説]
井伊直弼と「引き受ける」という立場
安政期後半、
幕府の中枢では、
•合議が成立しない
•決断の主体が曖昧になる
•判断が「空白」として存在する
という状況が強まっていました。
この段階で重要だったのは、
何が正しいかではなく、
誰が、その結果を引き受けるのか
という点です。
井伊直弼は、
この構造を早い段階で理解していた人物でした。
彼は、
すぐに前に出たわけではありません。
しかし、
•退路を残さない
•役割を否定しない
•結果責任から逃げない
という姿勢を、
静かに固めていきます。
164Iで描いているのは、
大老就任の決意そのものではありません。
「引き受ける以外の選択肢が、
すでに消えている」
という認識
です。
この認識が、
やがて井伊直弼を
表舞台へと押し出すことになります。




