161A 決められぬという決断
決められない、という事実を、
阿部正弘は、
すでに理解していた。
阿部正弘は、
机上の書付を、
順に閉じていった。
どれも、
間違ってはいない。
だが、
どれも、
今を終わらせる力を持たない。
通商の要求は、
すでに前提となっている。
拒めば、
先延ばしにしかならない。
受ければ、
割れは、
さらに深くなる。
(……切る、という手もある。)
そう思わなかったわけではない。
だが、
それは自分の型ではなかった。
切れば、
場は一時、
静まる。
その静けさが、
長く続かないことを、
正弘は知っている。
均す政治は、
刃を使わない。
だが、
刃が不要なわけでもない。
必要な時が、
来る。
その時に、
自分が前に立つべきか――
答えは、
すでに出ていた。
ふと、
別の時代の感覚が、
胸に触れた。
問題が解けないのではない。
このやり方が、
通じなくなる局面が、
ある。
それを、
経験として知っている気がした。
思い出そうとして、
やめた。
ここで必要なのは、
過去ではない。
今の位置を、
正しく測ることだ。
正弘は、
書付を脇に置いた。
決められないことは、
逃げではない。
決められぬまま、
場を保つことが、
必要な時間もある。
だが、
その時間が、
尽きつつあることも、
否定できなかった。
(……次だ。)
自分の次。
名を挙げる必要はない。
呼ばずとも、
立つ者は立つ。
正弘は、
そのことを、
静かに受け入れた。
決められぬという決断は、
ここまでだ。
この先に必要なのは、
別の役割。
それを、
自分が担い続ける理由は、
もう、
どこにもなかった。
⸻
⸻
[ちょこっと歴史解説]
阿部正弘と「決められなかった」時代
安政期に入ると、
幕府は 通商条約締結という、
それまでとは質の異なる判断を迫られるようになります。
これは、
•和親条約のように
「争わない」ことで時間を稼ぐ判断
とは異なり、
国内の強い反発を承知のうえで、
明確に是非を決めねばならない局面
でした。
阿部正弘は、
それまで一貫して、
•諸藩の意見を集め
•有識者の知見を取り入れ
•合議によって場を保つ
という政治手法を取ってきました。
しかし通商条約をめぐる段階では、
•時間が足りない
•国論はすでに割れている
•決断の結果が、
ただちに国内対立を生む
という条件が重なり、
「均す政治」が機能しにくくなっていきます。
161Aで描いているのは、
阿部正弘が弱気になった場面ではありません。
自分の政治手法が、
この局面には適合しないことを、
冷静に理解した瞬間
です。
阿部正弘は、
判断を放棄したのではなく、
役割の限界を見極めたと見ることができます。
この理解があったからこそ、
彼の退場は
「失敗」ではなく、
次の政治への引き渡しとして位置づけられるのです。




