幕間 名もなき日の記憶(政の外より)
その日は、
特別な日ではなかった。
朝は、
いつも通りに始まった。
井戸の水は冷たく、
米の値は、
昨日と変わらない。
町では、
噂が行き交っている。
異国と、
何かが決まったらしい。
戦は、
なかったらしい。
それ以上のことは、
誰もよく知らない。
「良かったじゃないか」
そう言う者もいる。
「情けない話だ」
そう吐き捨てる者もいる。
だが多くは、
言葉を選ばなかった。
選べるほどの情報を、
持っていない。
昼になると、
港の方が、
少しだけ騒がしくなる。
見慣れぬ船が、
停まっているという話。
見慣れぬ言葉が、
飛び交っているという話。
だが、
町の中までは、
まだ来ない。
来ないうちは、
日常だ。
夕刻、
店じまいをしながら、
ふと、
思う者がいる。
もし、
戦になっていたら。
もし、
港が焼かれていたら。
そうならなかったことを、
誰に感謝すればいいのかは、
分からない。
ただ、
今日も、
家に帰れる。
夜、
灯を落としながら、
誰かが呟く。
「結局、
俺たちには、
何も分からんままだな」
それは、
嘆きでも、
怒りでもない。
事実だった。
決まったことの重さは、
この夜には、
まだ、
降りてきていない。
だが、
確かに、
何かが変わった。
それだけは、
分かる。
名もなき一日は、
静かに終わる。
この静けさが、
いつまで続くかを、
誰も、
知らぬまま。




