154A 割れたままの政
結ばれた。
それで、
何かが終わったわけではなかった。
阿部正弘は、
評定所の空気を、
いつもより重く感じていた。
声は、静かだ。
だが、
収まってはいない。
むしろ、
言葉が選ばれるようになった分、
溝は、
はっきりと形を持ち始めている。
条約は結ばれた。
それは、
覆しようのない事実だ。
だが、
それをどう受け止めるかは、
誰の中でも、
まだ決まっていない。
「弱腰だった」と言う者がいる。
「よく耐えた」と言う者もいる。
どちらも、
政の場では、
扱いにくい。
評価は、
声を尖らせる。
阿部は、
机の上の書付を整えながら、
思った。
(……割れたままだ。)
和親は、
国を一つにする約束ではない。
争わない、
という一点においてのみ、
線を引いたに過ぎない。
だから、
争わぬことに納得できぬ者は、
声を強める。
納得している者も、
声を潜める。
結果として、
場は、
均されにくくなる。
阿部は、
均す手を、
止めなかった。
止められなかった、
とも言える。
今、
均しを放せば、
決断は、
ただの断絶になる。
それは、
避けねばならぬ。
だが同時に、
自分の政治が、
ここまでだという感覚も、
否定できなかった。
均すことは、
時間を稼ぐ。
だが、
割れたまま進む時間を、
永遠には支えられない。
阿部は、
ふと、
評定所の外を思った。
この先、
政の重さは、
別の形を求められる。
声を集める者ではなく、
割れた声を引き受ける者。
その役割を、
自分が担い続けることは、
できない。
(……次が、要る。)
誰かが、
次の役割に立たねばならない。
阿部は、
そのことを、
静かに受け止めた。
割れたままでも、
政は続く。
だが、
割れたままであることを、
引き受ける政治は、
すでに、
自分の手を離れつつあった。
⸻
⸻
[ちょこっと歴史解説]和親条約後の幕政と阿部正弘
嘉永七年(1854年)三月、
幕府は
日米和親条約
を締結しました。
この条約は、
外国との戦争を避けるという点では、
一定の成果を上げました。
しかし、
国内の意見をまとめる力は、
むしろ弱める結果となります。
理由は明確です。
•条約は
国論が一致した結果ではなく
•割れたままの状態で成立した
からです。
阿部正弘は、
調整と合議によって
場を保ち続けてきました。
しかし和親条約後、
幕政は次第に、
•調整による維持
から
•決断による統治
を求められるようになります。
ここで描かれているのは、
阿部が敗北した瞬間ではありません。
自分の政治が担える役割が、
ここで一つ、終わりに近づいたこと
を理解した場面です。
この先、
幕政の重心は、
別の人物へと移っていきます。
それが誰であるかは、
この時点では、
まだ明確ではありません。
ただ、
「割れたまま進む政」
という条件だけが、
確実に残されました。




