151A 締結
報せは、
思っていたよりも、静かに届いた。
阿部正弘は、
書付に目を落とし、
しばらく、そのまま動かなかった。
文面は簡潔だった。
余計な言葉はない。
感情も、評価も、書かれていない。
ただ、
結ばれた、とある。
(……そうか。)
それだけで、
十分だった。
決めた覚えは、ない。
だが、
ここへ至るまでの道は、
一つしか残っていなかった。
均し続けてきた。
声を集め、
並べ、
場を保つために、
できる限りの手を尽くした。
その結果が、
これだ。
成功とも、
失敗とも、
すぐには呼べない。
ただ、
避けられなかった未来が、
現実になった。
阿部は、
ゆっくりと息を吐いた。
評定所の空気が、
変わる。
まだ誰も声を荒げていない。
だが、
均しが終わったことを、
皆が、
どこかで感じ取っている。
これ以上、
先送りにする理由はなくなった。
同時に、
これ以上、
急がせる理由もなくなった。
阿部は、
机の上に手を置いた。
この決断は、
自分一人のものではない。
多くの声があり、
多くの恐れがあり、
多くの時間の不足があった。
それらすべてが、
この一点に、
収束した。
(……ここまでだ。)
均す政治は、
役割を終えた。
終えたからといって、
政が終わるわけではない。
だが、
これまでと同じやり方で、
進めるとも、
思えなかった。
阿部は、
書付を畳み、
脇へ置いた。
誰かが、
これを「弱腰」と呼ぶだろう。
誰かが、
これを「英断」と呼ぶだろう。
どちらも、
今はどうでもよかった。
重要なのは、
国が、
この先を進むということ。
割れたままでも、
進むしかない、ということ。
阿部は、
その事実を、
静かに引き受けた。
結ばれたのは、
条文だけではない。
この国の、
一つの時代だった。
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[ちょこっと歴史解説]阿部正弘と「結ばれた」という事実
嘉永七年(1854年)三月、
幕府はアメリカとの間で
日米和親条約
を締結しました。
この条約は、
•下田・箱館の開港
•難破船の救助
•平和的関係の確認
といった、
比較的限定的な内容でした。
しかし重要なのは、
その条文そのものよりも、
「戦わずに関係を結ぶ」という選択が、
公式に取られたこと
でした。
阿部正弘は、
この条約を
理想的な形だと考えていたわけではありません。
むしろ、
•軍事力
•財政
•技術
いずれもが不足する中で、
避けられない現実を引き受けた結果
と捉えていました。
151Aで描かれているのは、
条約締結の場面ではなく、
「均す政治」が役割を終え、
次の時代へ移ったことを、
阿部自身が理解した瞬間
です。
この後、
条約をめぐる評価は割れ、
攘夷の声はさらに強まっていきます。
和親条約は、
混乱を終わらせた出来事ではなく、
次の混乱を生む出発点でもありました。




