149A 最後の均し
均すことを、
やめる理由は、まだなかった。
阿部正弘は、
集められた意見書を前に、
あらためてそう思った。
選択肢は、
すでに収束している。
それでも、
声が消えたわけではない。
攘夷を唱える声も、
慎重を求める声も、
形を変えながら、
まだ、ここにある。
(……ならば。)
均す余地が残っている限り、
均さねばならぬ。
それが、
自分に与えられた役目だ。
阿部は、
一通一通、
言葉の調子を確かめるように読み返した。
強い言葉の裏にある、恐れ。
慎重な文の奥にある、覚悟。
どちらも、
国を思う気持ちに変わりはない。
だが、
同じ熱量で扱えば、
国は割れる。
だから、
熱を下げるところは下げ、
冷えすぎたところは温める。
その作業に、
派手さはない。
称賛も、
残らない。
それでも、
この場が壊れずに済んでいるのは、
均しが、まだ効いているからだ。
阿部は、
ふと、
自分の背後にある時間を思った。
もし、
もっと若ければ。
もし、
もっと長く、この役にあれたなら。
そうした仮定は、
今は意味を持たない。
重要なのは、
今日だ。
今日、
決めねばならぬことと、
決めずに済ませねばならぬこと。
それを、
取り違えぬこと。
阿部は、
ひとつ息を整え、
指示を書き付けた。
急がせぬこと。
煽らぬこと。
否定せぬこと。
だが、
備えだけは怠らぬこと。
それは、
決断を先送りするための文ではない。
決断が下されたとき、
場が壊れぬための、
最後の均しだ。
均す者が、
決断を下すとは限らない。
だが、
均す者がいなければ、
決断は、刃になる。
阿部は、
そのことを、
誰よりもよく知っていた。
だから今日も、
均す。
未来が一つに収束していく中で、
なお、
声と声の間に立ち続ける。
それが、
この時点での、
自分の政治だった。
⸻
⸻
[ちょこっと歴史解説]阿部正弘と「最後まで均す政治」
阿部正弘は、
黒船来航以後の幕政において、
一貫して調整と合議を重視した老中でした。
嘉永六年から七年にかけて、
•諸藩から海防意見を集め
•評定所で議論を重ね
•急激な結論を避ける
という姿勢を崩しませんでした。
この時期、
すでに幕府が取るべき現実的な進路は
ほぼ一つに定まりつつありました。
それでも阿部は、
「もはや決まっているから」と
議論や調整を放棄することはありませんでした。
なぜなら、
決断の前に場が壊れれば、
その決断自体が、
国を割る刃になる
ことを、
彼が誰よりも理解していたからです。
ここで描かれているのは、
阿部正弘の政治が成功した瞬間でも、
失敗した瞬間でもありません。
不可避の未来を前にしても、
最後まで「均す役割」を手放さなかった姿
その一点です。
この均しの上に、
嘉永七年三月、
日米和親条約
という決断が置かれることになります。
今年の投稿は、ここまでになります。
読んでくださった方、ありがとうございました。
来年も引き続き、読んでいただければ嬉しいです。
年明け、いよいよ和親条約が締結されようとしています。




