147KT 想定が現実になる前に
紙の上では、
まだ起きていない。
それが、
川路聖謨にとっての、
最後の防波堤だった。
机の上には、
書きかけの控えが並んでいる。
港。
艦。
人数。
通訳。
応対の順。
どれも、
想定のはずだった。
(……だが、揃い始めている。)
川路は、
筆を置き、
一度、紙から目を離した。
黒船来航の折、
最も恐れたのは、
衝突そのものではない。
備えのないまま、
現実が先に来てしまうことだった。
だから書いた。
だから集めた。
だから、
最悪を前提に並べた。
――来なければ、それでいい。
――当たらなければ、それでいい。
そう思っていた。
だが今、
紙に並ぶ想定は、
「警告」ではなくなりつつある。
それは、
使われる前提の形を帯び始めていた。
川路は、
一つの控えを引き寄せた。
そこには、
交渉の場の配置が、
淡々と記されている。
誰が前に出るか。
誰が退くか。
どこまで譲るか。
感情の入る余地はない。
(……これは、決断の書ではない。)
だが、
決断が下されたあとに、
最初に開かれる紙だ。
川路は、
そのことを、
はっきりと理解していた。
阿部正弘は、
まだ均している。
声を集め、
場を保ち、
割れぬように。
その背を、
川路は尊いと思っている。
だが同時に、
均しの外で起きる事態は、
均しの論理では止まらない。
だから、
止められぬ前提で、
整える。
それが、
自分に課された役割だ。
川路は、
筆を取り直した。
日付を書くには、
まだ早い。
だが、
空白を残すことは、
もはやできない。
起きてから書くのでは、遅い。
起きる前に書くからこそ、
意味がある。
想定は、
現実になってはならない。
だが、
現実になる前提でなければ、
備えにはならない。
川路は、
その矛盾を、
飲み込むように息を吐いた。
(……願うな。)
願えば、
判断が遅れる。
起きないことを祈るより、
起きたときに、
最も傷が浅くなる形を残せ。
それが、
記す者の務めだ。
紙の上では、
まだ、起きていない。
だが、
起きたあとの世界は、
もう、
ここに書かれていた。
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[ちょこっと歴史解説]川路聖謨と「備えの記録」
川路聖謨は、
幕末期の官僚の中でも、
記録と実務に極端に重きを置いた人物でした。
彼は、
事態が起きてから判断するのではなく、
•起きた場合
•起きなかった場合
•最悪の形で起きた場合
をあらかじめ書き分け、
対応を「整えておく」ことを選びました。
これは消極的な姿勢ではありません。
当時の幕府にとって、
外国勢力との衝突は、
•軍事力
•技術
•財政
いずれを取っても、
望んで選べる現実ではなかったからです。
川路の記録は、
決断そのものではありません。
しかし、
決断が下された瞬間に、
混乱を最小限に抑えるための“型”
を、
事前に用意する役割を果たしました。
ここで描かれているのは、
その記録が
「想定」から
「使われる前提」へと変わる、
まさに境目の時期です。
この備えの先に、
嘉永七年三月、
日米和親条約
という現実が訪れることになります。




