146A 収束する選択肢
選択肢は、増えているようで、
実のところ、減っていた。
阿部正弘は、机上に並ぶ書付を一つずつ見渡しながら、
そのことを、はっきりと自覚していた。
攘夷を唱える声は、相変わらず強い。
異国を拒め、
国を閉ざせ、
武を示せ。
言葉だけを見れば、
以前よりも整っている。
覚悟という名の下に、
主張は研がれ、簡潔になった。
だが――
整った分だけ、余地が消えていた。
(……増えているのは、声ではない。)
減っているのは、
選べる道だ。
かつては、
攘夷か、開国か、
その間に、
いくつもの幅があった。
時を稼ぐ道。
備えを整える道。
議論を続ける道。
だが今、
それらは「弱さ」と呼ばれ始めている。
急げぬことは、怯え。
決めきれぬことは、裏切り。
そう定義されてしまえば、
中間は、もはや存在しない。
阿部は、
一通の書付を手に取った。
そこに書かれているのは、
新しい提案ではない。
これまで何度も見てきた言葉だ。
だが、
その書きぶりに、違いがあった。
説明がない。
条件もない。
ただ、
「こうあるべきだ」とだけ記されている。
(……選ばせる気が、ない。)
これは、
道を示す文ではない。
踏み分ける余地を、
初めから消した文だ。
阿部は、
ゆっくりと書付を戻した。
攘夷を否定することは、できない。
それは、
異国への恐れの裏返しであり、
国を思う感情でもある。
だが、
恐れと覚悟だけで、
国の行き先は決められぬ。
備えの不足は、
言葉では埋まらない。
時間も、金も、技も、
現実として足りていない。
阿部は、
自分がこれまで
「均す」ことで守ってきたものを思い返した。
声と声の間。
感情と現実の隙間。
そのわずかな余白こそが、
国が割れずに済んできた理由だった。
だが今、
その余白が、
一つずつ、埋められていく。
埋めているのは、
敵ではない。
同じ国の者たちだ。
(……残る道は、何だ。)
問いは、
すでに問いの形をしていなかった。
選択肢を並べる前に、
いくつかが、消えている。
残るものは、
少ない。
阿部は、
机に両手を置き、
一度、深く息を整えた。
決めたわけではない。
だが、
決めずにいられる余地が、
確実に狭まっている。
それだけは、
疑いようがなかった。
収束しているのは、
議論ではない。
未来だ。
まだ名はない。
まだ形もない。
だが、
避けられぬものとして、
確かに、
こちらへ向かってきていた。
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[ちょこっと歴史解説]「選択肢が減る」という現実
黒船来航(嘉永六年・1853年)以降、
幕府は諸藩に海防意見書を求め、
多くの声を集めました。
当初、議論の幅は確かに存在しました。
•直ちに攘夷を行うべきだという意見
•備えを整え、時を稼ぐべきだという意見
•外交を通じて衝突を避けるべきだという意見
しかし時間が経つにつれ、
一部の攘夷論は
「現実条件を問わない覚悟論」へと変化していきます。
この段階で起きたのが、
意見が増える一方で、
現実的な選択肢が減っていく
という逆転現象でした。
阿部正弘の政治は、
異なる立場の声を同じ場に置き、
「同じ現実」を見せることで均衡を保つものでした。
しかし、
現実そのものを判断材料にしない主張が現れたとき、
その手法は構造的な限界を迎えます。
ここで描かれているのは、
阿部が敗北した瞬間ではありません。
「もはや、選ばないという選択が許されなくなった」
その事実を、誰よりも早く理解した瞬間
です。
この“収束”の先にあるのが、
翌嘉永七年三月に結ばれる
日米和親条約
でした。




