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JK老中、幕末って美味しいいんですか?  作者: AZtoM183
12.黒き報(くろきしらせ)
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114A. 灯の揺らぎ

時:嘉永六年六月下旬 江戸城・老中詰所、のち一人書院にて



 会議が終わったころ、日はとうに沈んでいた。

 江戸城の石垣は昼の熱を残しているが、

 空気はどこか冷たかった。


 評定所での怒声、圧し寄せる恐れ、

 それを沈黙で押し返した自分――

 それらがまだ胸の奥で静かな波を立てている。


 「……火を吹く船、か」


 阿部は独り言のように呟いた。

 浦賀の海で、どれほどの恐怖が今も渦巻いているのか。

 そして、その波はどれほど早く江戸へ届くだろうか。


 老中詰所の灯火は小さく揺れていた。

 紙障子に落ちる影が、わずかに震える。


 扇を置き、筆を手に取る。

 墨を含ませると、それだけで胸の中が静かになった。


 紙に向かい、ゆっくりと筆を走らせる。


 ――恐れぬことは、愚かではない。

 ――恐れを知り、理に変えること。

 ――それを以て、国を守る。


 書きながら、ふと笑みが漏れた。

 自分自身に言い聞かせているようで、どこか滑稽だ。


 扇を閉じたときの静寂。

 諸老の怒声を沈めた一言。

 そのすべての裏側に――

 阿部自身の恐れがあったことを、誰が知るだろう。


 「……私は、まだ若い」


 灯火がふっと揺れた。

 その小さな揺らぎに、阿部は自分の胸の揺れを重ねた。


 国を背負うには軽すぎる腕だ。

 だが、その腕しかないのなら、

 おのれが揺らいでも、前に進むしかない。


 筆を置き、灯の前で目を閉じる。

 墨の匂いが鼻をかすめた。

 遠く、江戸の町のざわめきが風に乗って届く。


 「……見よう。

  恐れを、形あるものへ」


 灯を吹き消すと、

 暗闇は驚くほど静かだった。

 その静けさの中で、阿部はそっと息を吸った。


 明日もまた、声の渦が押し寄せる。

 だが今だけは、恐れと理との狭間に身を置いてよかった。

 人であることを忘れずに、

 また“座”へと向かうために。



[ちょこっと歴史解説]

黒船来航直後、幕府首脳部は動揺し、

多くの老中が開戦か攘夷を叫ぶ状況にあった。

そんな中で阿部正弘は、年齢に似合わぬ静謀と理性をもって

「まず知ること」「交渉の余地を探ること」を判断した。


しかし、阿部自身も当時二十代後半〜三十代前半の若さで、

黒船という未知の危機を前に、

“個人としての恐れ”を抱えていたことは間違いない。

その恐れを抱えながら、それでも前へ進んだことこそ、

彼の政治的勇気の源であった。


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