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JK老中、幕末って美味しいいんですか?  作者: AZtoM183
12.黒き報(くろきしらせ)
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113A. 恐れぬ座

時:嘉永六年六月下旬 江戸城・評定所



 評定所の広間は、昼だというのに薄暗かった。

 障子越しの光が揺れ、畳の上に白い影を落としている。


 「異国船、なお浦賀に留まり、開国を求むとのこと!」

 「火を噴かれれば江戸は終わりぞ!」

 「攘夷を掲げて退けるべし!」


 声が、音ではなく“熱”になって広間を満たしていた。

 怒り、恐れ、焦り――

 どの声も、理の形を持っていない。


 阿部は静かに座していた。

 扇を膝に置き、瞼をわずかに伏せる。

 耳には入る。しかし、動かない。


 怒声がぶつかり合う。

 その底で、ひとつの感情が脈打っている。


 ――恐れ。


 それが形を変えて、“攘夷”という旗になっているにすぎない。


 誰かが叫んだ。

 「老中首座! なぜ黙すのか!」

 別の者が続ける。

 「いま決せねば、国が乱れますぞ!」

 「若輩が座に就いても、肝が据わっておらんのか!」


 侮り、威圧、過剰な恐怖。

 言葉は刃となり、若い阿部へ突き刺さろうとした。


 その時。

 阿部は扇をゆっくりと開き、軽く一つだけ、指で畳を叩いた。


 ――音が、広間の空気を変えた。


 怒声が止まる。

 まるで、その一拍に“呼吸”を取られたように。


 阿部はゆっくりと顔を上げた。

 視線は静かで、しかし鋭かった。


 「恐れは、声を荒げても消えませぬ」

 低く、広間の隅々まで届く声で言った。


 「恐れは、理で制するもの」


 広間が、静まった。

 怒りを帯びていた者も、息を呑む。


 「火を放てば勝てるか。

  退ければ国は守れるか。

  叫びは、答えを生みませぬ」


 阿部は扇を閉じ、膝に置いた。


 「まず、知るのです。

  相手は誰か。

  何を求め、どの理で動いているのか」


 そして、言葉をひとつ区切って続ける。


 「怒りは国を守らぬ。

  理こそが、国の舵を取る」


 その瞬間、

 広間にいた老中たちの視線が、初めてひとつの方向に揃った。


 若い老中の言葉は、叫びではなく、

 **静謀しずかなるはかりごと**であった。


 阿部は再び沈黙に戻った。

 だが、その沈黙はもはや恐れではない。

 場を支配する沈黙だった。


 障子の外で、一陣の風が吹いた。

 遠い浦賀の海で、黒い煙を上げる船を映しているかのように、

 白い光がわずかに揺れた。


 そして、この日の会議は、

 ――若き老中が“国家の舵”を初めて握った瞬間となった。



[ちょこっと歴史解説]

黒船来航後の評定所では、開戦を主張する声が多数を占めていた。

だが、当時わずか数十代の若さで老中首座となった阿部正弘は、

「攘夷」や「威嚇」に流されず、

情報収集・交渉・理による判断を方針とした。


彼は諸大名・有識者に意見を求め、海防政策を刷新し、

若手登用を進めるなど、柔軟かつ合理的な政治を行った。

この“恐れを理に変える政治”こそが、彼の最大の特徴である。

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