112I. 埋木のほころび
時:嘉永六年七月上旬 彦根城・宗安寺御殿
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浦賀に黒船――。
その報が彦根に届いたのは、朝の光が庭の砂利を白く照らし始めた頃だった。
「異国船四、浦賀沖に停泊。
黒煙を上げ、鉄のごとき船体と……」
家老が読み上げる声は硬く、言葉の端におののきが混じっていた。
しかし、直弼は眉ひとつ動かさなかった。
「そうか。
……まず、風を見よ」
家老が戸惑ったように顔を上げる。
直弼は、その視線を受け止めながら、ごくわずかに微笑した。
「潮も、風も、国の動きも。
まずは“どちらへ向かっているのか”を見ることだ」
家老は深く頭を下げ、足早に部屋を辞した。
その足音が遠ざかると、室内に静けさが戻る。
直弼は、縁側へ出た。
初夏の光が庭の梅の葉を透かし、葉脈が細く浮かび上がっている。
小さな影が、風に合わせて揺れた。
――遠い海の黒。
――目の前の、静かな緑。
同じ国の出来事とは思えないほど、世界は二つの色を持っていた。
「騒がしくなるな……」
独り言のように呟く。
国が揺れれば、藩も揺れる。
藩が揺れれば、城下の暮らしも乱れる。
だが直弼は、その“揺れ”の前にあるもの――
静かな兆しを探すのが常だった。
書院に戻り、筆を手に取る。
紙の上に置いた墨は、にじむことなく吸い込まれた。
その白の深さに、直弼は微かな息を吐く。
――海の向こうを
見ぬままにして
騒ぐなり
葉裏の影の
色にぞまなぶ
声には出さない。
ただ筆先で、静かに国を思った。
墨を置き、再び庭を見る。
梅の葉の裏で、目立たぬ小さな芽がふくらんでいた。
指でそっと触れると、柔らかく、温い。
「時は、まだ固まっておらぬ」
直弼は葉を戻し、立ち上がった。
庭には、風がひとすじ通っていた。
それは遠い浦賀の風であり――
まだ形を持たぬ、次の時代の風でもあった。
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[ちょこっと歴史解説](地方大名と黒船来航)**
嘉永六年の黒船来航は、江戸湾周辺だけの事件ではなく、
全国の大名家にとっても大きな衝撃だった。
幕府から各藩へ緊急連絡が送られ、
「海防意見」「藩の備え」「沿岸防衛」についての回答が求められた。
これにより、黒船来航は**“全国規模の政治的課題”**として一気に広がった。
実際には、以下のような反応が見られている。
■ 東海・畿内の大名
•海に面した藩では、海岸警備を強化。
•大砲や警備兵の数を増やし、陣屋を急造する例もあった。
•外様・譜代を問わず、防衛費の負担は重く、藩財政に圧力がかかった。
■ 西国(薩摩・長州など)の大名
•幕府の海防政策の遅れに不安を覚え、
**「自国の海防を見直すべき」**との声が強まる。
•長州藩では吉田松陰らが兵学を基に海防意見を提出。
•薩摩藩では洋式砲術の導入を検討し始める。
■ 近江・北陸・内陸の大名
•海に面せずとも、
**「国際情勢の変化が藩政に影響する時代」**を痛感。
•彦根藩(井伊家)をはじめ、譜代藩では比較的冷静に情勢分析が行われ、
「まず状況を知り、海防政策の方針を幕府と共有すべき」との判断が多かった。
黒船来航は、江戸の動揺だけを生んだのではなく、
全国の藩が“自分ごと”として危機を受け止める最初の転機となった。
この“全国規模の揺らぎ”が、のちの幕末政治へとつながっていく。




