088A 外との声
障子の向こうに、人のざわめきがあった。
評定所の静けさとは違う、もっと生の、湿った声。
町の商人、地方からの使い、旗本の代官――
それぞれの思惑が混じり合い、ひとつの音となって廊下を這ってくる。
「備蓄に回すとは、我らの取り分を削ること。」
「米は蓄えよりも、今の暮らしにこそ要る。」
声は、理よりも生活の切実さで満ちていた。
阿部は静かに席を立ち、障子を開けた。
声を遮ることよりも、まずは聞くこと。
政は、聞かねば始まらぬ。
相手の目に、自分が“若い”と映っていることは分かっていた。
だが、若さを隠すことに意味はない。
「老中であろうと、耳はふたつしかない。」
そう言って、阿部は一人ひとりの訴えを聞いた。
人の言葉は、紙の上の数字よりも多くの情報を含んでいた。
どこで物が詰まり、どの倉に米が眠り、
誰がその重さに耐えているのか――。
その夜、阿部はひとり机に向かった。
昼の声が頭の中で幾重にも反響していた。
川路の帳、勝らの風、そのすべての外側にある“人の暮らし”。
そこにこそ、政が届くべき場所がある。
筆を取り、紙の端に短く書きつけた。
「理は政の骨、声は政の肉。」
そして、続けてもう一行。
「声を拒む政は、やがて理を失う。」
風が障子を鳴らした。
昼に聞いたあのざわめきが、まだ空気の中に残っている。
それを“うるさい”と思わなくなった自分に、阿部は気づいた。
静かな政治の中にも、外の声を抱えられる余地がある――
そのことが、なぜか心を軽くした。
彼は筆を置き、灯を少しだけ明るくした。
外の風が、書付の端をめくっていく。
それは、風が政の外から吹き込み、
やがて時代の内側へと入り込んでいく、はじまりの音だった。
⸻
[ちょこっと歴史解説]
阿部正弘が老中に就いた当初、幕府は閉じた政治構造を保っていた。
しかし、天保の改革後の不満や飢饉の影響もあって、
町人や地方からの“直接の訴え”が増えていく。
阿部はこれを排除するのではなく、むしろ**「声を聴く政治」**を模索し始めた。
実際、彼は地方や商人の意見を聞き入れて制度を改めた例があり、
これが後の**人材登用(例えば川路・永井・勝らの起用)**へとつながる。
この回「外との声」は、その転換点――
理の政から、“声の政”へと移る最初の一歩を象徴している。




