010A.美味しいの、その先
「こちら、母より――よろしければと」
そう言って差し出された包みは、
薄紙の下に、きっちり並べられた醤油団子だった。
焦げ目が香ばしく、照りのあるたれが艶やかで。
添えられていたのは、小さな紙にくるまれた柚子の香りの漬物。
「きのう、お若さまが“美味しい”とおっしゃったと伝えましたら、張り切って拵えまして……」
と、近習の少年は少し照れたように笑う。
私は受け取りながら、どう返せばいいかをずっと考えていた。
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部屋に戻って、早速ひと串口にした。
ああ、やっぱり美味しい。
柔らかくて、温かくて、
もちの焦げた部分が少しだけカリっとしてて。
この時代の“おやつ”って、すごく素直な味がする。
でも、それだけじゃない。
たぶん私は、味よりも、気持ちに感動していたんだと思う。
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この数週間で、いろんな人に会った。
皆、それなりに親切で、丁寧で、礼儀正しかった。
でも「差し入れ」をもらったのは、はじめてだった。
私に“好きなものがある”って、前提で向き合ってくれたのも、たぶん。
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だから、お返しに悩んだ。
物を贈るのが正しい?
なにかを作る?
手紙? 挨拶? お礼の言葉?
でも結局、私は短くこう言うことにした。
「また、美味しいって言える日を楽しみにしています」
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数日後、その少年がふたたび膳を運んできたとき、
彼はなにも言わなかったけど、なんとなく空気がやわらかかった。
その日の味噌汁は、ほんのすこしだけ、柚子の香りがした。
気のせいかもしれないけど。
それでも、なんだか悪くない。
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気づかないうちに、私はこの世界で“味”だけじゃなく、
人の思いを感じることにも、少しずつ慣れてきているのかもしれない。
そんなふうに思った、冬の午後だった。
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[ちょこっと歴史解説]
▪️江戸の食文化ミニ解説(江戸のうまみ手帖):団子と漬物の話
江戸時代、甘いものは今よりもずっと貴重でした。
団子は、庶民にも手の届く“ちょっとしたごちそう”。
とくに醤油だれの焼き団子は、香ばしさと甘辛さで人気があり、
寺の門前や橋のたもと、屋台などで手軽に買うことができました。
団子は「串に刺してある」ことで持ち運びやすく、
忙しい町人や旅人にとっても、ぴったりの食べ物だったのです。
そして、漬物は保存食としてだけでなく、
「食事の締め」や「ご飯を引き立てる脇役」として重要な存在。
なかでも柚子の皮を混ぜた大根漬けなどは、
香りを楽しむ粋な工夫として、武家屋敷でも好まれていました。
こうした“ちょっとした味”にも、
江戸の人々は工夫と気配りを込めていたのです。




