073KR. 若き老中(響)ー噂の先にー
「なあ、聞いたか?」
塾の仲間が囁くように言った。
勘定所で無駄を洗い出したとか、異国の砲の仕組みを翻訳したとか──そんな話が町の噂に混じって広がってきていた。
「ふん、どうせちょっとした見栄えだろ」
「だが、やったのはあの若い老中だとさ」
わたしは耳をそばだてた。
評定所に名を連ねたばかりの若殿が、本当にそこまでしているのか。
信じがたい話だったが、不思議と胸がざわついた。
──もし本当なら。
「おい勝、どうした?」
「いや……こっちも負けてらんねえな、って思っただけさ」
翻訳を急がせる声が頭に響く。
同じ時代に生きて、同じ空気を吸っている。
ならば自分だって、新しい海図を描き出す一助になれるはずだ。
噂の先にいる老中の顔はまだ遠い。
だが、その響きは確かに胸を打っていた。
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[ちょこっと歴史解説]
勝海舟(麟太郎)は、若き日の学びのなかで「新しい情報」や「外の世界」に人一倍敏感でした。
阿部正弘の人材登用や改革の芽は、直接関わりのない若者たちにも噂を通じて刺激を与え、学びや志を促す力となりました。
こうした小さな波紋が、幕末の人材たちを育てた背景のひとつといえます。




