009A.若殿、って呼ばれても
どうしてこんなに丁寧に扱われるんだろう。
目を覚ましたら、私は“若さま”だった。
女中が三人。
朝になると、勝手に着物を持ってきて、膝をついて着せてくる。
起き抜けのすっぴんなのに「お顔色がよろしいようで」なんて言われる。
いや、別に悪くない。むしろ、気分は悪くない。
ただ……何ひとつ、それに見合うことはしてないのに。
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「阿部家の若殿」として暮らす毎日。
本家筋らしく、まわりはやたらと気を使ってくる。
でも私は、ただの高校生だった。
たまに漢字が読めないし、作法もわからないし、
夜になるとこっそり畳の上でストレッチをしている。
最初の頃は、早く帰りたくて泣きそうだった。
今でもたまに、夢に出てくる。修学旅行の夜。あの旅館のふとん。
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とはいえ、この暮らしにも少しずつ慣れてきた。
湯を使うタイミングも、履物の並べ方も覚えた。
最近は、「まじめなお若さまですね」と言われる。
たぶん、黙ってるだけなんだけど。
黙ってると、思慮深いって思われるらしい。不思議。
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一度だけ、廊下で年配の家臣にこう言われた。
「いずれ、阿部様のような方が、この国を導くのでしょうな」
冗談だと思いたいけど、目は笑ってなかった。
……ちょっと待って。
私、まだ生徒会にも立候補したことないんですけど。
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名前と血筋だけで「期待」されるのって、けっこうしんどい。
でも、面白くなくもない。
知らない景色を、私は今、生きている。
阿部正弘
まだ“若殿”と呼ばれるだけの少年。
──だが中身は、制服姿の女子高生。
名前だけが先に歩き出し、自分の気持ちは追いつけない。
けれどこの世界の空気は、確かに今、自分の肌に触れている。
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[ちょこっと歴史解説]
江戸時代の「若殿」教育 〜将来の殿様はこう育てられる〜
江戸時代の大名家に生まれた嫡男――すなわち「若殿」は、生まれた瞬間から特別な存在とされ、将来の家督相続に向けて、幼少期から厳格な教育を受けます。彼らは単なるお坊ちゃんではなく、「領民を治める責任者」として、幼いころから将来を背負わされていました。
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教育は「武」と「文」の両立
■ 1. 武芸の習得(実技)
若殿の教育でまず重要視されるのが「武」。武士の家の子として、戦に備えた実戦的な訓練が行われました。
•剣術:多くは家伝の流派に学ぶ。道場通いもあり。
•弓術・槍術:格式ある家ほど正式な師範を招いていた。
•馬術(乗馬):特に大名家では必須。鷹狩りなども練習。
•柔術や兵法:白兵戦・戦術的思考も学習対象。
これらは「いざ戦となれば指揮を執る立場」になる前提で、子供のうちから鍛えられました。
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■ 2. 学問(文)の修得
武士はただの戦闘員ではなく、政治を担う「官僚階級」でもあります。ゆえに学問の修得も非常に重要視されました。
•漢学(儒学):朱子学が基本。道徳・統治理念・家臣統率の理論を学ぶ。
•書道・漢詩・和歌:上級武士としての教養。
•国学・和学(藩によって):尊王思想につながる知識。
•藩法・幕法の読み方:将来の藩政に備える。
•実務教育:帳簿の読み方や年貢計算など、実務的な内容も。
学問は藩校での教育や、**私人の師匠(侍読)**をつけることで行われました。特に有力藩では、京都や江戸の有名学者を招聘することも。
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教育開始のタイミングと元服
•3〜5歳ごろから読み書きや礼儀作法が始まり、
•7歳ごろから本格的な学問と武芸の訓練が開始。
•11〜15歳前後で「元服(成人式)」を迎え、正式に「若殿」として家中に紹介される。
元服以降は、藩政の実習的な補佐に入ったり、将軍への拝謁を行うなど、実務的な場面にも参加します。
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教育の場:藩校と江戸屋敷
•藩によっては、地元の藩校で庶民の子弟と一緒に学ぶこともありますが、多くは別格の私的教育。
•江戸藩邸に住んでいる場合は、幕府の目を意識した礼儀重視の教育が強まる傾向。
•一部の若殿は、将軍家や親藩家との関係から小姓として仕える形で教育を受けることもありました(例:家光時代の伊達家など)。
「若殿」の教育は、将来の統治者を育てる国家プロジェクトのようなものでした。ただの習い事ではなく、「いかに家を守り、家臣や領民をまとめるか」を教える、非常に実践的で厳しい道のりだったのです。




