第19章「二人の奇蹟」
八月の終わり、夕暮れ時の部屋に風鈴の音が涼しげに響いていた。遥は窓際の椅子に座り、真奈の髪を優しくブラシで梳かしていた。大きなお腹で動作は不自由だったけれど、真奈の柔らかな髪に触れているのが心地よかった。
「ねぇ、真奈ちゃん。髪、もう少し短くした方が楽じゃない? 赤ちゃんが生まれたら、あんまり手入れする時間ないかもしれないよ?」
遥の言葉に、真奈は少し考え込むような表情を見せた。
「そうかな……でも、遥ちゃんが私の髪、好きって言ってくれるから」
真奈の答えに、遥は思わずくすっと笑う。
「もう! そんな理由で伸ばしてたの?」
真奈は頬を染めて、小さく頷いた。その仕草があまりに愛らしくて、遥は思わず真奈の首筋に軽くキスをする。
「わっ、くすぐったい!」
真奈が身をよじると、お腹の中で赤ちゃんが大きく動いた。
「あ、男の子たち、動いた! 遥ちゃんの双子ちゃんたちも起きてる?」
真奈が振り返って遥のお腹に手を当てると、確かに女の子たちも元気に動いていた。
「うん、みんな起きてるみたい。もうすぐ会えるね……」
遥の声が少し震えた。真奈はすぐにその変化に気付き、遥の手を優しく握った。
「怖いの?」
「うん、でも……楽しみでもあるの。なんだか不思議な気持ち」
真奈は膝を折って遥の前に座り、彼女の大きなお腹に耳を当てた。
「女の子たち、ちゃんと元気そう? お姉ちゃんたちになるんだからね」
「もう! お姉ちゃんだか妹だかまだわかんないじゃないの」
二人は笑い合った。そんな他愛もない会話が、今は何よりも大切な時間に感じられた。
「ねぇ、真奈ちゃん……私たち、ここまで来たんだね」
遥の言葉に、真奈は静かに頷いた。振り返れば、長いようで短かった妊娠期間。様々な不安や喜びを二人で分かち合ってきた日々が、今、新しい段階に進もうとしていた。
「遥ちゃんがいてくれて、本当に良かった……」
真奈の目に涙が浮かぶ。遥は真奈の頬を両手で包み、その涙をそっと拭った。
「泣かないの。私たちの子供たち、もうすぐ生まれてくるんだよ?」
「だって……幸せすぎて」
真奈の素直な言葉に、今度は遥の目から涙がこぼれた。二人は額を寄せ合い、静かに息を整える。
「私たちの家族……素敵な家族になるよね?」
「うん、きっと。だって、みんなで作っていくんだもん」
窓の外では夕焼けが空を染めていって、部屋の中は優しい光に包まれていた。風鈴が再び涼やかな音を響かせる。
「あ、そうだ。ベビーベッドの配置、もう一回考えてみない?」
真奈が突然思い出したように言う。
「えっ、また? この前決めたばかりじゃない」
「だって、もしかしたらもっといい配置があるかもしれないし……」
遥は真奈の几帳面な性格に、思わず微笑んだ。こんな何気ない会話の一つ一つが、かけがえのない思い出になっていく。
「じゃあ、もう一回考えてみよう。でも今度が最後だからね?」
「うん、約束する!」
二人は手を繋ぎ、ゆっくりと立ち上がった。大きなお腹を抱えながらの動作は不格好だけれど、それさえも愛おしい。これから始まる新しい生活への期待が、少しずつ二人の心を満たしていく。夕暮れの部屋の中で、新しい家族の物語が、今まさに始まろうとしていた。