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解雇寸前のメイド、溢れでる推しの魅力を語っていたら、推しに再雇用される

作者: 藤井

「解雇する? う、嘘でしょう? そんなこと急に知らされても」


 手に持った書類を何度確認しても、解雇の文字が見える。

 見習いメイドとして働いて早三年、まさか解雇される日がくるなんて思いもしなかった。若い女の子が多い職場で、結婚や出産で辞めていく人はいても、クビになる人なんていなかったのに。


「なんで? 私の働きぶりが悪かった?」


 確かに私はすごく要領がいいわけではないけれど、日々働いてきたつもりだ。それでも解雇されるということは、私はいらないということだ。

 落ち込む私の肩にポンと手が乗る。


「メリルもクビ?」

「メリルもってことは、アニーも?」

「私たちだけじゃない。半数以上はクビって噂だよ」

「どういうこと?」

「さあ、上の考えていることはわからないけれど、一応今後の身の振り方について面談があるそうだよ」

「今後の身の振り方って言われても……」

「次の仕事先の紹介状を書いてもらうのか、退職金が出るのか、詳しくは私も知らないよ」

「え? アニーはもう次の仕事先の候補はあるの?」

「いや、さすがに今日の今日で次の仕事先なんて言われてもね」


 表面上はいつも通りに仕事をこなしてはいるけれど、城中落ち着かない人ばかりだ。アニーが言っていた話は本当で、城の半数の人に解雇通知が送られているらしい。朝から順番に宰相様直々に面談を行っているのだとか。


「見習いメイドだけじゃなくて、上級メイドも解雇されるらしいよ」


 情報通のアニーの言葉に驚いているのは私だけではなく、休憩に入っていた見習いメイド仲間たちも一緒だった。


「まあ、でも上級メイドは、お貴族様ばかりだから、クビになったって困らないわよね」

「確かに、私たちのように生活がかかっているわけではないものね」

「みんな次のあてはある?」


 私の質問に、みんな次々に口を開く。


「私は、親戚のお屋敷でメイドを募集しているから、そこで働くわ」

「私は、彼が結婚しようと言ってくれているから、いいタイミングかなって」

「私は家の仕事を手伝うわ」


 人それぞれだけれど、みんな次の生き方が決まっていて内心で焦る私。


「仕事がなくなるのは残念だけど、最後に宰相様を近くに見られるなら本望だわ」

「確かに、一度でいいからお話してみたかったから嬉しいわ」

「ねー」


 我が国の宰相はみんなのアイドル的な存在で、宰相を近くで見た日は幸運が訪れ忘れられない一生の思い出になるのだとか。私は一度遠目で見たことがあるけれど、遠すぎて顔なんて見えなかった。噂の宰相様に会えるのは確かに記念にはなると思うのだけれど、話の内容が内容だけに憂鬱である。


 休憩後、持ち場へと戻るタイミングで、先ほどの会話で口を開かなかったアニーへと声をかける。


「アニーは明日からどうするの?」

「うーん、私は、今まで働いて貯めた給金で旅をしようと思っている」

「た、旅?」

「うん、私の推しに会いに行くの」

「例の、隣国の王子様だっけ?」

「そう、推しの存在は尊いのよ。推しがこの世に存在してくれているというその事実だけで最高なのに、目の前で見て、話して、笑う姿なんて見た日には、もう、さらに最高なの」

「そ、そっか」


 普段は大人しい方なアニーだけど、推しという好きな人の話になると、途端に饒舌になる。生き生きとするアニーを見ていたら、羨ましくなる。私にはアニーのように好きな人も、メイド仲間のように彼氏がいるわけでもなく、ただなんとなく日々を過ごしているだけだから。けれど、落ち込む時間もないまま、面談の順番がやってきてしまった。


「次、メリル・グリーン」


 名前を呼ばれた瞬間、その声の良さに震えそうになった。耳にしっくりくるこの声にまた名前を呼ばれたいなんて、そんなことを思ってしまうほどの美声だ。


「はい」


 開けたままになっている扉から中に入れば、同じ人間とは思えないほどの美貌の主がいた。その人を見た瞬間、脳に、いや、体中の全ての細胞に衝撃が走った。美しいという言葉がこれほど似合う男性はいないと思う。毛穴なんてないのではと思わせるほど綺麗な肌に、スッと通った鼻筋、綺麗な形の眉も、銀色に輝く髪も、どれも素晴らしい。さらには意志の強そうなその瞳がさらなる魅力上乗せしているようだ。我が国の宰相、アルベール・ルイス様は、この美貌で、国民から絶大な人気を誇り、他国のお姫様にまで求婚されたとかなんとか。確かにこの外見ならば、すべての噂話が本当だとしてもおかしくないと思う。


 そんな宰相様が書類に視線を落としている隙にじっくりと観察して、私は悟った。


 ああ、これが、推しなのだと。

 愛や恋とは違う、その存在自体が尊い。

 この世に存在してくれてありがとうと、いるかいないかわからないけれど神に感謝してしまう。


「メリル・グリーン、二十歳、見習いメイド歴三年」


 またも、耳にグッとくる声に悶えそうになる。しかしここで悶えていたら、ただの不審者にしか見えないだろうから堪えて、何気ない顔で返事をする。


「はい」

「今日付けで解雇だ」


 不機嫌そうに眉を顰める宰相様の眉の皺さえも尊い。

 そんなことを思いながらも、質問をする。


「理由を伺ってもいいでしょうか?」

「人件費削減だ」

「え?」

「陛下は無駄が嫌いだ」


 そういえば王様が代替わりして、城の方針がいろいろ変わっていくと聞いたことを思い出す。


「不満があるようだな?」

「え、いや、あの、私辞めたくないです。このお城で働かせてください」

「メリル・グリーン、仕事の評価は五段階中、二だ」

「二? ですか……」


 確かに私は要領が悪くて、仕事に時間がかかることがある。それでも私なりに真面目にやってきただけに、五段階中、二という評価はショックだった。


「君は何のために働いている?」

「お金の為です」

「他には?」

「他ですか?」


 たくさん理由はあるけれど、先ほど推しを見つけた私にはここで働きたい理由が増えてしまった。たくさんある理由を言ってもいいのだろうかと躊躇している間に、宰相様は言った。


「だから君は、この評価なのだろう」


 その一言に、私は胸の内を打ち明けることにした。


「私がここで働いている理由を、申し上げてもよろしいでしょうか?」

「言ってみろ」

「お金の為というのは本当です。労働の対価は賃金ですから。しかし、私がこのお城で働いている理由は他にもあります」

「ほう」

「王城のまかない料理は世界一美味しいのです。私は初めてここに来た日に食べた瞬間に感じた衝撃を今でも覚えています。こんなに美味しい物が世の中にはあるのだと知りました。そんな美味しい料理が一日だけでなく、仕事をした日には毎日食べられるのです。毎日がご褒美です」


 宰相様が何とも言えない顔をしているのがわかったけれど、私の城への愛は語り終わらない。


「もちろん食事は大事ですが、料理だけがこのお城の魅力ではありません。城勤めの人に開放して下さっている王宮図書館、本の種類がとても多く、素晴らしいのです」


 図書館の話をした瞬間、宰相様の眉がピクリと動いたのを目の端でとらえた私は、図書館を城勤めの人に開放するという案を出したのが宰相様だという噂は本当なのだと確信し、続けて口を開く。


「街の本屋では手に入らない本もたくさんあります。私は読書をする習慣はありませんでしたが、この図書館のおかげで本の楽しさを知りました」

「ということは、給金と料理と本を目当てに働いているということか?」

「いいえ、もちろんそれだけではございません」

「他にはなんだ?」

「一番大事なのは、人です」

「人?」

「はい、どんな仕事をやるかはもちろん大事ですが、一番大事なのは誰と働くかだと思っています。私は自分で言うのもなんですが、要領が悪い方で、同僚にはたくさん迷惑をかけています。バケツをひっくり返してしまったりしてしまった時には、みんな手伝ってくれました。仕事が遅くて落ち込んでいたら励ましてくれ、私はとても優しい人達に恵まれました。だからこの職場が、好きです。そして、本当にすごいことだと思います」

「すごい?」

「はい、見習いメイドは人気の職業です。だからメイドになりたいと採用試験を受けに来る人がたくさんいます。その中で、こんなにいい人ばかりを採用した、採用担当者の審美眼が優れているのだと私は思います」


 採用の最終責任者が宰相様だというのは、公にはされていないけれど知る人は知っているのだ。だから、城への愛を語るとともに、こっそりと宰相様を褒めてみたけれど、表情の動かない宰相様。


 やっぱりちょっと褒めるだけで解雇を回避するのは無理だったようだ。

 それならば、もう二度とお目にかかることはないだろう、人生で最初の推しと呼べる目の前の美貌の主に言いたい。


「宰相様はご存じですか?」

「何をだ?」

「メイド達の間では宰相様を一目見ることができた日は、幸運が訪れると言われているのです」

「は?」


 驚く顔さえも美しいのだから、ここまでくると、もはや同じ人間な気がしなくなってくる。


「宰相様のその外見は国宝級でございます。そのきめの細かい美しいお肌は世の乙女たちが羨むことでしょう。さらには艶のある輝く綺麗な銀髪は、海で泳ぐ魚の一瞬のきらめきにも負けておりません」

「……魚?」

「整った鼻筋に、色気を感じさせる唇、この美しい顔のパーツの配置は、五目並べの達人にさえできないことでしょう」

「……五目並べ?」

「顔の造形だけでも、宰相様の右に出るものはおりませんが、さらに魅力的なのは、その魅惑のボイス。私、先ほど、名前を呼ばれた瞬間腰が砕けてしまうかと思いました」

「魅惑のボイス?」


 ポカンと口を開けている顔さえ絵になるのだから、やはり国宝級である。


「さらには長い手足、男らしい喉仏。デスクワークが多いにも関わらず、ほどよくついた筋肉。どれをとっても一級品ですが、一番の推しポイントは、意志の強そうなその瞳です。世界中の宝石を集めても宰相様の瞳より価値のある物はないでしょう。宰相様にこうして会えて、これまで直接ではありませんでしたが、お仕えすることができて幸せでした。できることならばこれからも宰相様が日々健やかに過ごされている姿をこの目に焼き付けていきたい所存でございます」


 ほめられ慣れているであろう宰相様は、今更どんなほめ言葉を聞いても響くものはないだろう。でも、宰相様と平凡な私の人生が交わることなんてない。だから外見はもちろん、宰相様の素晴らしさを本人に伝えられる最初で最後のチャンスだと思ったのだ。


 下の者達の労働環境を少しでも良くしようと、王宮の料理長を説得してくれたのも、図書館を開放する案を出してくれたのも、行き場のない平民の私たちを積極的に雇用してくれたのも、全部宰相様なのだから。


 推しへの溢れる気持ちと、日ごろの感謝の気持ちを込めて最後に一礼し、退出のため一歩下がった瞬間だった。


「辞めたくないか?」

「え?」

「ここで働きたいのかと聞いている」

「はい。働きたいです」


 小さく聞こえてきたため息に、やっぱり無理かと諦めかけた時だった。


「メリル・グリーン、明日の朝、ここにくるように」

「え?」

「評価が二では解雇は覆らない。だから再雇用だ。詳細は明日だ。退室していい」

「はい。ありがとうございます。失礼します」


 嬉しくてにやけそうになる口を引き締めて、退出。そして、廊下に出た瞬間に小さくガッツポーズだ。


「やったー!」


 明日から無職にならずにすんだ。その事実がとても嬉しくて、帰り道の足が軽かった。しかも、推しというものを身に染みて理解できた私は幸せである。メイド仲間のアニーが推しの素晴らしさを語るその心境が今なら痛いほど理解できる。平凡だった私の毎日に彩りがプラスされたのだ。


 翌日、ドキドキしながら、宰相様に指定された部屋の扉をノックする。


「入れ」


 さすが、私の推し、今日もいい声である。


「失礼します」


 入室した私が見たのは、朝陽を浴びる宰相様で、キラキラと音が聞こえてきそうなほど輝いて見える。


「ま、眩しい」

「カーテンを閉めるといい」

「いえ、眩しいのは陽の光ではなくて、宰相様です」


 呆れたような顔でじっと私を見つめ、何事もなかったかのように書類に視線を落とした宰相様はやはり尊い存在だ。だって、その冷たささえもプラスの要素にしかならないのだから。


「メリル・グリーン」

「はい」

「君にピッタリな配属先がある」

「はい」

「私の世話係だ」

「はい?」


 聞き間違えたかなと思い、思わず首を傾げてしまう。


「やることは難しいことではない。身の回りの世話と、言いつけた用事をやってくれればいい。雑務がほとんどだから、そう大したことでなはない」

「あれ、でも宰相様にはお世話係がいるはずでは?」

「もう高齢で先月引退したのだが、その後の世話係が一七人変わっている」

「一七人も……」

「誰一人として長続きしない」


 配属先は洗濯メイドか掃除メイドだろうという私の予想は大きく外れ、宰相様のお世話係とは驚きである。しかも、一七人も世話係が辞めたなんて何か理由があるとしか思えない。


「皆さん辞める理由を伺っても?」

「仕事にならない」

「え?」

「見惚れたまま動かない、ならまだましだが、色目を使うのはもちろん、迫ってくる輩までいる……好きだ、愛していると、突然襲い掛かってくるのだ。だが、君は私を好きではないだろう?」

「え? 大好きですよ。宰相様は私の初めての推しですもの」


 昨日あれだけ好意を前面に押し出して、思いっきり思いの丈をぶつけたと言うのに、宰相様に私の気持ちは伝わっていなかったようだ。


 どうやら、私は推しに推しの魅力を語る技量が足りないらしい。


「いや、君の好きは恋愛のそれではないだろう?」

「そう言われたら確かに、恋愛ではないかもしれませんが、私は、宰相様の存在が好きなのです。その、難しいのですが、宰相様が健やかであれば大変嬉しく思うのです」


 告白とも違うけれど、好きなものを好きだと言えるのはなんだか幸せだと思った。にっこりと笑う私にまたもポカンと口を開ける宰相様。まだまだ伝わらないのならば、例え話をすればいいのだ。


「えーと、私にはコレットという可愛い妹がいまして。年の離れた妹で、赤ちゃんの頃から面倒を見ていたせいか、もう、何をやっても可愛くてたまらなくて。コレットへの気持ちと、宰相様への気持ちは似ている気がします。ですので、恋や愛ではないかもしれませんが、私は宰相様が好きなのですよ」


 シンと静まった一拍後に、宰相様は言った。


「……下心のない好意は悪くない」


 そう言って、目を細めて笑う宰相様の顔が脳裏に焼き付いた。


「尊すぎる」

「プハッ……ハハハ」


 笑う宰相様を見ていたら、私まで幸せな気持ちになり、この仕事は神が与えてくれた人生のご褒美かもしれないと思った。一八人目のお世話係として、誠心誠意頑張ろうと思う。


 仕事内容は宰相様の言う通り、難しいことはなかった。宰相様の執務室の掃除や、お茶の用意、食事を受け取ったり、各部署への言付けなど、忙しく動いていたらあっという間に時間が過ぎていく。今日一日、宰相様のからの指示に迅速に対応できないことも度々あったけれど、宰相様は責めるでもなく、わかりやすいように指示を出してくれた。


「メリル、もうあがっていい」

「はい」


 宰相様の机にはまだたくさんの書類が積みあがっていて、宰相様はまだまだ帰れそうにない様子だから、自分だけ先に帰るのは気が引けるけれど、私がいてもあまり役には立たないのである。


「お疲れさまでした」

「ああ、お疲れ」


 その一言に、今日一日の疲れが即座に吹っ飛んだ。

 推しからの労りの言葉に、耳が喜んでいる。宰相様の素晴らしい声の余韻に浸って、脳内で何度もリプレイだ。


「メリル、何をやっている?」

「魅惑のボイスで労りの言葉をかけていただきましたので、脳内でリプレイしていたところでございます」

「……早く帰れ」


 そんな風に、たくさんの小さな幸せを感じながら少しずつ仕事にも慣れてきて、数日が経過したある日のこと。


 宰相様の執務室から、財務部へと書類を届けに行った帰り道でそれは起こった。


「どんな手を使って平民メイドが、アルベール様のお世話係の座に就いたのかしら?」

「身の程を弁えるべきだわ」

「そうよ、そうよ」


 上級メイドのお姉さま三人組に囲まれて、気づいたら後ろは壁で逃げ場もなく、ただただ時間が過ぎるのを待つしかない状況に陥ってしまった。


「あなた、聞いているの?」

「はい、もちろんでございます」

「宰相様がご迷惑でしょうから、お世話係、お辞めなさい」


 上級メイドは貴族ばかりだから、人に命令することに慣れている口ぶりだ。とりあえず目を伏せて大人しく待ったままの私。推しの一番近くで推しを応援できるこの特等席を譲るわけにはいかないし、いいえと言いたい。でも怒られそうだし、どうしたものかと悩んでいたら、勝手に話が進んでいく。


「今から辞めることを伝えてきなさい」

「ちょっと、あなた聞いているの?」

「無視なんて生意気だわ」


 丁重にお断りしようと顔を上げた瞬間、聞こえてきた足音に顔を見合わせる上級メイド達。一人を囲んで攻めているのを誰かに見られるのは得策ではないと言わんばかりに去っていった。


 私はというと、嫉妬の対象になるであろうことは想定の範囲内だったため、驚きはなかったのだ。私だって逆の立場だったら羨ましいと思うだろうし、やはり見習いメイドの地位は低く、理不尽なことも多々あるのだから、こんなことでくじけてはいられない。


「あ、急がなきゃ」


 ただでさえ、仕事が遅いのに、これ以上遅れるわけにはいかないのだ。小走りで廊下を進み急いで執務室に戻ると、宰相様はいつもかけていない眼鏡をかけていた。


「眼鏡ポイントが入って、尊さプラス三、今日も最強です」

「……なんだその変なポイントは。お茶を頼む」

「かしこまりました」

「それで、少し帰りが遅かったようだが、財務部で何か問題でもあったか?」

「いえいえ、何も問題なしです」


 上級メイドに絡まれたこと、宰相様本人言うわけにもいかない。これだけ素敵な人のお世話係なんて羨ましいと思うのは当然と言えば当然だし、聞いて楽しい話ではないだろうから。


 その日から、外に出たときには、できるだけ存在を消して素早く移動をしたり、私なりに小細工をして、上級メイドに会わないように頑張った。けれど、運が悪いのか、角を曲がった先にこの間の三人組に出くわしてしまった。


「あ、見つけたわ」

「こっちに来なさい」

「え、あ、私急いでいまして……」


 そんな私の言葉なんて誰も聞いていないようで、人が通らなさそうな場所まで連れてこられてしまった。


「なぜ、まだ辞めていないのかしら? 以前わたくしが退職するように言ったことお忘れになって?」


 怒り心頭の上級メイドを前に、何を言っても怒られそうでつい口を閉ざしてしまう。とにかく言うだけ言ったらスッキリするだろうから、黙って耳を傾けていたのに、振り上げられた手が見えた次の瞬間、頬に衝撃が走った。


「イッ……」

「無視するなんていい度胸ね」

「許せない、こんな女がアルベール様のお側にいるなんて、絶対に許せないわ」


 興奮冷めやらぬ上級メイド様達を前にどうしたものかと脳内で会議をしている時だ。


「そもそもアルベール様の魅力をあなた理解しているの?」


 この質問に私はカッと目を見開いた。


「な、なによ?」

「宰相様の魅力を理解しているか否かという質問でしたね」

「そうよ、それがなによ?」

「ウフフフ。よくぞ聞いてくれました」


 相手が逃げ腰になったことなんて気にもならない私は、ここ数日で蓄積された溢れ出る推しの魅力を語る機会に、前のめりになった。


「宰相様の魅力でございますね?」

「急に、なんなの?」

「ええ、ええ、十二分に存じ上げていることと思いますが、宰相様の魅力についてぜひ共有したいと思います。宰相様は大変尊い存在でございます。シミ一つない肌はどこまでも透き通り、輝く銀髪は、なんと枝毛など一本も存在しておりません。髪の一本一本まで栄養が行きわたり、ハリとコシ、パーフェクトヘアーでございます。さらには、輝かんばかりのその存在は太陽の眩しさにも負けないほどでございます」

「ちょ、ちょっと、なんなのこの子」


 逃げだしそうな相手の肩を鷲掴み、私はさらに言葉を続ける。


「宰相様の魅力はとどまることを知らず、外見は言うまでもなく神々しく輝いておりますが、本当に輝いているのは、その人間性でございます。部下への小さな気配りを忘れず、時には厳しく、時には優しく指導する姿はもはや神」

「なんなの。嫌、この子」

「こ、怖い」

「危ないですわ、参りましょう」

「え? まだまだ語り足りないのですが?」


 一目散に逃げていく三人の後ろ姿に小さく手を振る。

 推しの魅力を語れて、三人組を撃退できたことに私は大満足だ。

 うんうんと一人頷いて、宰相様の待つ執務室に戻ろうと足を一歩踏み出した瞬間。


「恥ずかしいことをベラベラと」

「え? 宰相様の声?」


 誰もいないと思っていたのに、聞こえてきた魅惑のボイスに私思わず周りをキョロキョロと見渡す。


「上だ」


 真上の窓から顔を出していたのは宰相様で、驚く私を見て、宰相様はハッとした様子で言った。


「そこを動くな、いいな? 待っていろ」

「はい」


 それからすぐに、急いだ様子で駆けつけてくれた宰相様。


「その頬はなんだ?」


 私の叩かれた頬に手を添えて耳元でそう囁くものだから、私は耳がとろけそうになる。


「お、おやめください。私が宰相様の声に弱いと知っていて」

「相手には相応の罰を下そう。あいつらをどうしてほしい?」

「どうもしなくていいのです……女には戦わないといけない時があるのですから」

「やられただけではないか」

「どこがですか? 私の華麗な話術に最後は尻尾を丸めて逃げていく姿を宰相様も見たでしょう?」

「チッ」


 舌打ちをした宰相様は、私の手を取り歩き出す


「医務室へ行くぞ」

「いや、これぐらい大丈夫ですよ」

「大丈夫なわけあるか。ちゃんと診てもらえ」


 長い脚でぐんぐんと進んでいく宰相様に小走りでついていく。繋いだ手から伝わるぬくもりに、私はある予感がした。


 小さな予感に気づきながらも私は自分で自分を誤魔化し、日々を過ごしていった。宰相様を一番近くで支えられる幸運を誰にも渡したくなくて、小さな予感を無視していたのだ。


 けれど、ある日。


「宰相様のご結婚が決まったそうよ」


 そんな噂話を耳にした瞬間、あの日感じた予感が確信に変わった。


「メリル、あがっていいぞ」

「アルベール様」

「……どうした? 急に名前を呼ぶなんて」


 ずっと宰相様と呼んでいたけれど、一度でいいから名前を呼びたかったのだ。


「推しの名前を呼んだことがなかったので記念に呼んでみました」

「記念?」

「はい、こちらを」


 私は宰相様に退職願を差し出した。


「なんだこれは?」

「退職願でございます」

「それは見ればわかる。突然どうしたのだ?」

「突然ではございません。私はずっと我慢しておりました」

「我慢だと?」

「はい」

「何があった? まだ誰かに文句で言われたのか? 相手を教えろ」

「いいえ、違うのです」

「じゃあ、なんだ? 仕事が嫌になったのか?」

「いいえ」

「理由を言え。そうでなければ退職願は受理できんぞ」


 不機嫌そうに寄せられた眉で、宰相様の本当に機嫌が悪くなったとわかる。眉の角度で機嫌がわかってしまうぐらい私は宰相様のことがわかるようになった。


「私が我慢していたのは……」

「遠慮なく言え」

「魅了的すぎる宰相様に惚れる我慢でございます。私は宰相様が大好きなのです」


 ずっと言いたくて言えなかった一言は、口にすればほんの一瞬だ。


「メリルが俺を好きなことは知っている」

「いいえ、宰相様はわかっておりません。確かに私は出会った瞬間から宰相様が大好きですが、その好きとは違うのです」

「何が違う?」

「私の今の宰相様への好きは、恋や愛のそれなのです」

「……」

「お世話になりました」


 サッと一礼して退出する私にかかる言葉はなかった。わかっていたことなのに引き留める言葉がなかったことにショックを受けている自分が嫌になる。

 宰相様の驚いた顔が脳裏に焼き付いて離れない。好きだ好きだと言っていた私だけど、恋や愛となると言葉の重みが違うのだ。その夜は、告白後の何とも言えない宰相様の顔が浮かんでちっとも眠れなかった。


「メリル、朝だよ」

「おはよう、お母さん」

「目が腫れているよ」


 宰相様のことを考えると自然と涙が出たのだから、目が腫れてしまったようだ。


「今日はお休みだから、もう少し寝るね」

「そうしなさい」


 いつもなら、急いで準備して城に向かう時間だけど、今日から無職だ。それに今はベッドから動く気になれないのだ。それから、浅い眠りを繰り返し、時計を見るたびに考えるのは宰相様のことばかりだった。この時間はお茶の時間だなとか、あの書類の受け取りは今日までだったなとか、私の代わりはいくらでもいるだろうからきっと大丈夫なのに。


「お姉ちゃん大丈夫?」


 ドアを少し開けて、心配そうにそう言ったのは妹のコレットだった。


「おいで、コレット」

「お姉ちゃん、元気ないの?」

「うん、ちょっとだけね」


 失恋と失業が同時にやってきたのだから、パワーが出ない。

 その翌日も家から出ずに、だらけて過ごした。その間、お母さんは何も言わずにそっとしておいてくれたから助かった。


「おはよう、お母さん」

「もう大丈夫なの?」

「うん、大丈夫だよ。ありがとう。朝市には私が行くよ」

「あら? じゃあお願いできる?」


 朝食の材料を調達に、手に籠を持って玄関を出れば、フードを深く被った見るからに怪しい人影があった。


「メリル・グリーン」


 私の名前を呼ぶその声を、聞き間違えるわけがない。


「宰相様」


 フードを取れば、そこにいたのは宰相様で、相変わらずの美貌の主がそこにはいた。


「どうしてここに?」

「メリルに会いに来た」

「私にですか? 何か問題でもありましたか?」


 一応引き継ぎの書類は作っていたから、後任の人が困らないようにしてきたつもりだったのに。


「退職願は受理できない」

「え? どうしてですか? 私はお世話係失格です。私も一七人いたお世話係と同じです。宰相様に見惚れるのはもちろん、下心しかありません」

「別に構わないが?」

「私が宰相様に迫って、襲っちゃうかもしれませんよ。困るでしょう?」

「困らないが?」

「いや、だから、好きでもない相手にそのようなことをされたらお困りになるでしょう?」

「メリルのことは嫌いではない」


 ああ言えばこう言う宰相様に、なぜか言いたいことが伝わらない。


「だから、私は宰相様を愛していますが、宰相様は私を好きではないでしょうからご迷惑になると言っているのです」

「好きだが?」

「はい?」

「好きだと言っている」


 私の耳はどうやらおかしくなったらしい。失恋のショックで幻でも見ているのかもしれない。


「なるほど、これは夢」

「何を言っている? 現実だ」


 両手で頬っぺたを挟まれた私は、リアルな感触に夢ではないと認めざる得なかった。


「もう一度聞きますが、宰相様が私を好き?」

「ああ、好きだ」

「いやいやいや、そんなことってあり得ませんよね?」

「なぜだ?」

「なぜって、相手は私ですよ。もしかして、宰相様の推しが私? いや、それもないような?」

「よかろう、俺の好意を信じられないというのならば、教えてやろう」


 ニイと子供のように笑う宰相様の顔は激レアである。いたずらっ子みたいな笑顔が尊いと、つい推し活モードを入ってしまった自分の脳を、現実に引き戻す。


「メリルは明るく元気だ。短い脚で良く動き、くるくると変わる表情は見ていて飽きない」


 ほめられているのか貶されているのかよくわからないけれど、じっとこちらを見つめる宰相様の瞳から視線が逸らせない。


「要領は悪いが、一生懸命だ。確かにスピードはないかもしれないが、仕事を任せたら責任を持ってやりきる力がある。お茶を入れさせたら、なぜか毎回薄味だ。けれど、美味しい美味しいと言って目の前で美味しそうに飲むものだから、今や薄味のお茶が好みになったではないか」

「そ、それは、知りませんでした。すみません」

「そして、推しが尊いのだと、本人を目の前にほめる言葉しか言わない。キラキラした瞳で、口で全身で好きだと語る、その声が、俺はいつしか好きになったようだ」


 そっと手を握られたと思ったら、宰相様は私の手の甲に口づけた。


「俺の好意は伝わったか?」

「つつつつ、伝わりましたけど、本当に本当ですか?」

「ふむ……人をほめるのだけはメリルには勝てないな」


 そう言って笑う宰相様に私は言いたい。

 きっと初めて会った日から、私はこの人が好きだったのだ。愛なのか恋なのか、推しへの好意なのか、好きの種類なんてわからないけれど。


「とにかく好きです」

「ああ、知っている」


 そう、勝ち誇った顔で笑う宰相様が、本当に大好きだ。

お読みいただきありがとうございました。

楽しんでいただけましたら幸いです。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 好きだが?で胸がきゅうううんてなりました。よき。
[気になる点] 宰相様の結婚の噂はなんだったのか? もしや結婚は別の人とするけど専属メイドは続けろって話?
[良い点] 明るく元気な主人公とクールな宰相様の推し活ステキです。 ラストのやり取りも良い…。 [一言] 宰相様の結婚の噂は結局噂だったのでしょうか? それとも宰相様が外堀を埋めるための一手だった…?…
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