戦争3
幼いナターシャは、自室の子供用ベッドの上で爆発音を聞いた。
彼女がその小さな体を伸ばしてガラス窓から外を覗くと、焼かれた街の中を何台もの戦車がゆっくりと進んでいくのが見えた。
それらはもちろん敵国の戦車だ。機体側面に描かれた印象的な幾何学模様のマークで、すぐにそれとわかる。
わたしの国は負けたのか、ナターシャは幼心にそう思った。
ナターシャの父は兵士として戦争に行っている。父はもう帰ってこないのかもしれない。
この家で暮らす私と母、それに七つ歳の離れた兄のヴォロージャは、いったいどうなってしまうのだろう。これまで敵だった国の人間になってしまうのだろうか。そこでは善と悪が反転してしまう。誰も真実を話さなくなる。今日までの幸福なわたしは死んでしまう。
部屋のドアが勢いよく開いて、母が飛び込んできた。
部屋に入ってきた母は真剣な顔をしながら静かな声で、「ここから逃げるのだ」と話した。
母と手早く支度をして階段を下りると、玄関の前では兄が待っていて、早くしろと急かす。
玄関のドアを開けて外に出ると、そこはナターシャの見知っている街ではなくなっていた。一瞬、異世界にでも迷い込んだのかとすら錯覚したが、人々の怒号や悲鳴、懸命に逃げ惑う姿、街のあちこちを燃やす炎とその明かり、そして地の底から響くような連続した砲声、それらを耳にし目にし、自身の肌に感じて、これが現実なのだと否応なく実感させられる。死と隣り合わせの現実。
車は使えない、と兄が母に話すのをナターシャは横目で見る。この混乱の中で“敵”に車を砲撃される危険があるからだろう。
彼女はふと、車中に父に買ってもらったぬいぐるみが置いてあることを思い出した。お気に入りのクマのぬいぐるみだ。けれど怒ったような顔で話す二人にそれを言い出せる雰囲気ではなかった。今は緊急事態なのだ。
さよなら、クマさん。ナターシャは心の中で車に残されるクマに別れを告げた。永遠の別れだ。
その間にも砲声や爆発音が止むことはなかった。母がナターシャの名を呼び、彼女の手を強く握った。そして、手を離しちゃだめよ、としっかりとした声で言う。
ボロージャが行く手を指さす。これから地獄の中を往くのだ。ナターシャは決意を固め、柔らかく温かな母の手を握り返した。
最後に彼女は、生まれてからこれまで育った我が家を振り返った。寂しさをその場に残し、父を欠いた家族三人は足早に歩きだす。