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死が2人を分つその日を過ぎても

作者: 愛又 恋

 今では信じられないだろうが、俺が生きていた頃は出会って次の日に結婚なんてことも往々にしてあったんだ。何なら顔さえ見ずに結婚する事もあった。


 なにせいつ最前線の戦地に派遣されるかわからないのに半年後だ一年後だなんて悠長なこと言っていられなかったんだからな。


 だけどな、出会ってすぐ結婚したからと言って愛情が薄いだろうと言われればバカかと答えてやる。俺の必死に生きた一日が惰性で過ごすお前達の数年に負けるわけがねぇ。俺は全力をかけて一日であいつを一生分愛したよ。


 あれは戦争が終わる最後の年。俺や仲間達に戦艦に乗り満州に向かう指令が降りた。本来なら外出許可なんて出やしないが俺達は上官の温情で一日の外出を許された。


 その日が恐らく母国の地を踏む最後の一日になると口には出さないがみんなが理解していた。俺は運良く基地の近くに実家があったから最後に家族の顔を見に行けた。だがそんなのは稀で大半は故郷を想い街で酒を煽る奴ばかりだった。


 出撃予定がまだ無い仲間が気をきかせて実家までの送迎を買って出てくれたおかげで時間を無駄にしなくて済んだ。だが道中だんまりで暗い顔なのにはまいったが。


「助かった。悪いが迎えも頼んだぞ」


 仲間は黙って俺の目を観て頷いた。俺が車を降りると仲間はそのまま基地に帰って行った。


 ガキの頃歩いてた道を昔を思い出しながら歩いていると、もう家は目の前にあった。先祖代々守ってきた家は、屋敷とまでは言えないが、立派な佇まいだ。


 敷地に入ると庭で見覚えのない女が洗濯物を干している。どうやら俺が居ない間に新しい女中を雇ったらしい。どうやら俺には気づいていないらしい、黙々と仕事をこなしてる。


 しかし、女中にしておくには勿体無いほどの器量だ。白く透き通る肌に、力強い眼。嫁の貰い手なんていくらでも現れるだろうに、奇特な奴も居たもんだ。


「ごくろうさん、あんたテキパキと仕事をするね。観ていて気持ちがいいよ」


 声を掛けるとこちらに気づいて小走りで向かって来た。


「おかえりなさい。お前様」


「おいおい、お前とは随分乱暴な言い方だな。女中なら旦那様やら、ご主人やらあるだろうに」


 女中はキョトンとした顔で俺を観た。間を置いたら今度は急に笑い始めた。その笑った顔が何とも言えない愛おしい表情をしていた。


「私はお前様の嫁のタエですよ」


 それを聞いて今度は俺が固まりタエの顔を観た。そう言えば一月ほど前に縁談を進めるとは聞いていたがまさかもう結婚までしていたとは、せめて手紙の一通でもくれればよかったものを。


「それはすまんかったな。親父殿から縁談を進めると聞いてはいたがまさか既に婚姻まで済ませてるとは夢にも思わんかった」


「仕方ないですよ。今お義父様は東京にご用事で出ておりますし、きっと帰ったらお伝えするおつもりだったんでしょう」


「なんと、親父殿は不在なのか。そうか、しかしあんたには悪い事をしたな。実は俺は明日出撃する事が決まったんだ」


「そうなのですか?なら早くお義父様にお伝えしなくてはいけませんね。タエが電話をお繋ぎしますので、お早くお伝えしてください」


 タエに手を引かれ急いで電話の前に連れて行かれた。タエが電話交換手に親父殿の滞在先を伝えて繋いでもらうと、親父殿に用件を伝えて俺に受話器を渡した。


「代わりました。……はい。ええ。――――……立派に務めを果たして参ります。お身体を大事にしてください。それではお達者で」


 タエのおかげで親父殿に最後の別れを言えて、無駄足にならずに済んで胸を撫で下ろした。電話をしている間もタエは側で待っていてくれた。


「悪かったな。手間をかけさせた。」


「何をおっしゃりますたかだかこれしきのことで。私はこらからもしっかりとあなたをお支えします」


「何度も言う様だが、俺は明日出撃するんだ。お前も察しているだろう?もう戻ることは無いと」


 それまで姿勢を整え座っていたタエがバッと立ち上がり腰に手を当て俺を力強い眼で見据えた。


「お前様っ!お前ではございません!タエとお呼びください。それに何を弱気な事を言っているのですか!それでも玉は付いているのですか?」


 あまりの気迫に気圧され思わず後ろにたじろいでしまった。


「た、……タエ。おなごが玉と口走るのはいかがなものかと思うのだが」


「これは失礼を。しかしタエを其処彼処にいる可愛らしいおなごと思わないでくださいあんた様。私は強い女です。とても強い女です。ですからあなた様が帰って来るまで私とお義父様が家を守ります」


 そんな爛漫な笑顔に恥ずかしながら、会って間もないにも関わらず、俺はタエに惚れてしまった。恋愛の末の婚姻でもなければ、人生を共に歩む為の婚姻でもない。


 両家の者達がそれぞれの都合で結んだであろうに、悲観することなく胸を張り人生を歩むタエのその姿は俺に衝撃を与えた。


「それではお前様、時間がありませんので早く参りましょう」


「参るとは何処へだ?」


「ご先祖様に無事に帰れるようにお願いしなくてはいけないでしょう」


 そう言うとタエはそそくさと家の奥に消えた。居なくなったと思うと、手に財布を持ちすぐに戻って来た。またまたそう思ったら今度は俺の手を引いて表に連れ出した。


「おいおい、墓は逆方向だろう。どこに行く?」


「まさか手ぶらで行くつもりですか?お供物を買いに行くんですよ」


「今まともに供えられる物なんてこの国には残っていないだろう」


「タエにお任せください」


 そう言って街の裏通りに入り古びた一軒家を訪れた。入り口には老婆が品定めでもするように上から下まで舐め回すように観ている。老婆が「御用は」と口を開くとタエは財布から有りったけの札を取り出して老婆に手渡した。


「これで買えるだけのおはぎを下さいな」


 老婆は札を舌なめずりしながら数えて、終わると階段の上に向かって「はぎ、五つ」と叫んだ。しばらく待つと上から手に墓参り桶を持った割腹のいい男が降りてきて目の前に置いくと、直ぐにまた上に戻った。


 桶を覗くが中には何も入っていない。それを観ていた老婆が桶の底の窪みに指をかけて開くと中にはおはぎが五つ入っていた。


「ありがとね婆様」


 例を言うとタエはまた俺の手を引いて店を出た。しかし疑問があった。俺の家は確かに裕福な方ではあるが、それでもあれほどの金をそう易々とは出せない。まさか家の蓄えに手をつけたのかと疑いが生まれた。


「さっきの金はどうしたんだ?若いおなごが持てる金額とは思えんが」


 投げ捨てるようにタエに言うとその場で足を止めた。


「あれはお義父様が嫁入り道具を準備できない私の家に代わり渡してくれたお金ですからお気になさらず」


「そんな大事な金でなんでおはぎなんて買ったんだ!」


 つい怒鳴った物言いになってしまい、タエが一瞬固まった。


「なんで?でございますか。それは勿論、大事な人の大事な先祖に大事な人が無事帰れるようにお願いに参るからに決まってるでしょう。それ以外の理由がいりますか?」


 タエが固まったのは疑問からだった。その真っ直ぐ俺を見つめる眼差しにもはや、何も言うことができなかった。


 黙った俺の手を掴んで、タエはまた手を引いて連れ歩いた。よくよく考えればおなごの手を握った事なんて、幼い頃に亡くなった母以来ではないだろうか。


 タエの手は男と比べ小さく肌が柔らかい。だけども俺の手を握りしめる力強さも備わっていた。シャキシャキと前を歩くタエから花のようにいい香りが風に乗って運ばれてくる。


 気がつけば墓地についていた。結局終始手を引かれて来てしまった。街の知り合いにでも見られていてはいないかと心配になった。


 そんな俺の心配を他所にタエは水場に置かれた桶に水を入れ、持ち上げた。両手に二つも桶を持っている。慌ててそのどちらも貰い受けるとタエはまたあの爛漫な笑顔で礼を言ってくれた。


 水の入っていない桶をタエに渡すと中からおはぎを一つ出して墓前に供えられる。線香を俺に渡しと背後に控えた。俺は腰を下ろして線香を焚いた。そして目を閉じて手を合わせた。


 報告と頼み事をして顔を上げて振り返ると、タエが腰を下ろして手を合わせていた。まるで祈りごとでもするように。


 墓地を出るとタエがおはぎを一つ手渡して来た。


「タエは、食べないのか?」


「タエは先程、食事を済ませたばかりでとても食べられません。ですからどうかお前様がお食べください」


 その言葉が嘘であることはわかっていた。凛とした顔ではあるが少し頬がこけている。こんなご時世だ、日頃から満足に食べていないのだろう。


「それは困った。俺もついさっき飯を食ったばかりでとてもそんな大きなおはぎは食べられん。……そうだタエ、腹が膨らんでいるのに悪いが、どうか半分食べてはもらえんか」


 初めて戸惑うタエの仕草を見ることが出来た。俺は有無を言わさずおはぎを半分に分けて片方をタエに持たせて、残りのおはぎを頬張った。


「いやぁ、腹が膨れていても美味い。あまりに甘くて頬が落ちそうだ。タエも早くお食べ」


 甘味なんて長らく口にしていなかったので本当に美味しかった。タエも促されてようやく口をつけて、美味しそうに食べている。


 食べ終わると実家に向かってタエと歩いた。おなごと恋仲になったことなどなかったので、一体全体どう接したらいいのか皆目見当もつかない。


 だが、気づけば手を繋いで歩くタエの表情は明るく。機嫌良く鼻歌を歌いながら歩いているのを観て、このまま歩くのも悪くない気持ちになった。


 帰りがけに近所の神社の前を通りかかると、タエは俺にその場で待つように言いつけて境内に走って行った。


 暇を持て余して辺りに広がる田畑に目を配ると夕日が綺麗に染めている。子供の頃に走り回った田畑や神社仏閣、学校への通学路。その全てが尊く思えた。


 俺はそれほど学がある人間ではないから戦争の意味や理由なんてものは考えられんが。今目の前に広がる全てを守る為なら悪くはないと思った。


 その守りたいものの一つが走って俺の元に戻って来た。息を切らせながらタエはお守りを俺の手に握らせた。そんな彼女をみて、つい笑ってしまい。タエの機嫌を損ねてしまった。


 怒って先を歩くタエを追いかけて、手を握りしめた。


「すまん。馬鹿にした訳じゃないんだ。……お守り、ありがとうタエ」


 背後から観ていたので表情はわからなかったが、夕日に染められたタエの耳は赤く染まっていた。


 家に着くと振り子時計が六つ鳴り時刻を告げてくれた。迎えが来るのは八つ鳴る頃だ。残り時間は少しずつだが確実になくなっていた。


 それを伝えるとタエは急いで湯の支度を始めた。体を清めて旅立てるのはありがたいと俺からもお願いをした。既に焚き付けを済ませていたようで三十分も待てば風呂の用意が出来た。


 風呂に入り頭を洗っていると入り口の前で声がした。


「お背中お流しいたします」


「一人で出来るから気にせんでくれ」


「いえ、是非やらせてください」


 あまりに頼まれるものだから俺の方が折れて背中を流してもらった。力一杯に洗うタエの洗い方は少々痛くはあったが嬉しくもあった。


 入れ替わりでタエが風呂にはいった。風呂から上がると白湯が用意されており、ほっと一息つくことが出来た。床の間の襖が開いており目をやると床の用意がされていた。


 風呂から上がったタエに問いただすと。


「私達は夫婦です。なにを気遣うことがありますか」


「だが、俺は恐らく生きては帰れん。子でも出来たらタエに迷惑がかかる」


「お前様。あなたは必ず帰ってきます。子が出来たなら喜びましょう。そしてお義父様と私と子で貴方の帰りを待ちます」


 タエは俺の胸に飛び込んできた。俺を愛おしそうに見上げるタエの美しい瞳に見つめられ、思わず強く抱きしめて唇を重ねた。






 外から迎えの車のクラクションが鳴り、急いで玄関に行き靴を履く。タエは奥から風呂敷に包んだおはぎを持って来て俺に手渡した。


「お気をつけて行ってきてください。お前様」


「これはタエ、お前が食べてくれ。俺は幸せで胸がいっぱいで食べられそうもない」


 そう言っておはぎはタエに食べてもらうことにした。立ち上がるとカチカチと聞こえて振り返るとタエが火打石を打ってくれていた。


「ありがとう、タエ」


「どうぞ、ご無事で。お前様」


 俺は未練が生まれないように振り返らずに車に乗った。


「手を振ってるぞ。振り返さなくていいのか?」


 気を利かせた仲間が伝えてくれたが俺は頷くしかできなかった。


 基地に着いてから聞いたがタエは見えなくなるまで手を振り続けていたそうで仲間からいい嫁だと茶化された。俺は貰ったお守りを落とさないように首から下げた。







 終戦を迎えて七度目の夏。一人の男がバスを降りた。片足が不自由なようで歩きにくそうにしながら、近くに立ち並ぶ店に顔を出しては紙を見せて何かを聞いている。何度も何度も聞き周りその内の一人が指差して男に道を教えている。


 男は被っていた帽子を取り頭を深々と下げた。帽子を取ると頭には火傷の跡がある。不自由な足で男は教えられた道を延々と進み。一軒の家の前で立ち止まった。


 家の周りは田畑に囲まれ、庭には洗濯物が干してある。入り口に向かって男は家の者を呼ぶ。そして現れた女に男は頭を下げ、ある男の話を始めた。


 男が如何に仲間のために戦ったか。そして如何に生きようとしたのかを。


 話終わると男は鞄から血で汚れたお守りを取り出して、女に手渡した。男は最後にもう一度頭を下げて家を出て行った。


 家の奥から五、六歳の男の子が走ってきて女に問いかけた。


「誰か来ていたの?」


 女はお守りを強く握りしめて口を開いた。


「お父さんが、帰ってきたのよ」


子供は訳がわからない様子だった。女はその場に座り込みお守りを胸に抱えた。


「お帰りなさい。お前様」

ご清覧ありがとうございました。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 冒頭の時点で主人公が帰ってくることはないのだと分かっていたのに、最後の年月を跨いでやってくる男を見たときには無意識に彼の帰還を想像して喜んでしまいました。 それだけ、この二人があれっきりに…
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