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義手の人形と冥界の少女  作者: 睦月宏也
3/5

箱庭の人形

「神様が暴れてるの見て、わしゃ、大急ぎで帰ってきたがや。そしたら塀のあたりまで全部、雪積もってやがって、こりゃ、伽也子様、本気出されたな、おそろしや、おそろしやと思ったがや。そいでつい、ぼさっとしちまって、夕餉(ゆうげ)の支度にかかる時間が遅れて、これまた大急ぎで作ったんやけど、お味の方はどうかね、お嬢ちゃん」

「お、おいしいです。全部、おいしいです」

 白米、しじみの味噌汁、鯖の味噌煮、里芋の煮っ転がし。膳の上の料理を見て、肉が食いたいと瑠璃は思った。今日は色々とあって疲れたから甘いものも欲しい。しかし、他人様が作ってくれたものを無下に断るわけにはいかない。一口食べると、箸が止まらなくなった。おいしい、素直においしい。今日一日の出来事を忘れるくらいに。

 味噌汁の椀を持った伽也子と目が合う。穏やかな黒目がちな瞳。結わないままの艶のある黒髪。

「お富さん、わたくしのことをあまり、恐ろしく仰らないでください」

 お富と呼ばれた、割烹着姿の老婆は伽也子に向かって両手をあわせ、

「いいえ、やはり神様は尊く、また恐ろしい御方であらせられますので」

 と言って、むにゃむにゃと念仏のような言葉を唱え始めた。

「もう神ではありません。ごちそうさまでした」

 伽也子はそう言って、箸を置いた。瑠璃は最後の里芋を口に運びながら、神様、そうか神様か。確かに神様なら猛吹雪を吹かせたり、辺り一面を雪景色に変えることは造作もない。しかし、あの姿は神と言うよりも、昔話にでてくる雪女がふさわしい。二つ名は「液体窒素の薔薇」。悲しき過去を背負いて、悪と戦う雪原の美しき一輪。触れなばたちまち凍りつかん、その身をもって味わうべし。里芋が舌の上でとける。

「あんた、おかわりはええかえ?」

 お富がしょぼしょぼした目でお櫃の中の残りをしゃもじでかき寄せる。うんうんとうなずき瑠璃は茶碗を差し出す。

「よく食べる娘じゃえ。まあ、伽也子様と比べて慎みがないっちゅうか、地味で華もないっちゅうか、あんま、ぱっとせん感じじゃけど、元気なのはええことじゃ」

 ええ、そうですわ、わたくしには慎みも華もありませんことよ、今できることはせいぜい口を動かすことくらい。なんておいしいご飯なのでしょう、これなら誘拐されるのも悪くありませんわね。ぱくぱく。

「じゃ、伽也子様、他にご用がなけりゃ、私はもう下がりますんで」

「ここで食べないの?」

 瑠璃の質問に翠は首を振り、

「神様とご一緒に食事するなんぞ、わしには無理じゃ」

「二人で食事をしましょうと言っても、いつもこうなのです」

 伽也子は微笑みながら、

「誰かと夕餉を共にするのは久しぶりのことです」

「ええ、まったく罰当たりな娘ですじゃ。今時の若いもんはもっと、神様に対して尊敬の念っちゅうか、崇める気持ちっちゅうもんを持つべきですじゃ。ということで、あんた食い終わったら、自分のお膳とそのお櫃、台所まで持って来てくれりゃ」

 お富が伽也子の膳を持って部屋を出る。その足音が遠ざかるのを待ってから、

「もう神ではありませんのに」

 伽也子は今度はさみしそうに笑った。もう神ではない。自分よりずっと年上の人に神様と崇められるこの人はどんな人だろう。さっきは髪が白かった。目も別人のように冷たかった。何なんだろう、この人は、何なんだろう、この世界は。トリックや夢幻でも構わない、しかし、今は覚めてほしくない。目覚めたらつまらない現実が、あまりよくない現実が待っているかもしれない気がした。瑠璃は箸を置いた。

「宮永さんは神様だったの? さっきのあの化け物みたいな奴やっつけたのもそのせい? というかあいつは何だったの、亡者とかなんとか」

 伽也子は、伽也子でよろしいですわ、と言い、

「お富さんが仰っていた神とは現世における神とは異なる存在です。死者の魂を転生させたり、罰したりできる審判官のようなものです。亡者とは地獄で罰を受ける、異形の姿をした死者のことです」

 要するに神とは閻魔大王のような存在らしい。地獄からその亡者とかいうのが脱走したら、神様が出てきてそいつらを成敗すると。じゃあ、あの白い塀を越えていたら、私はあの怪物に一人で出くわしていたかもしれない。雷様に感謝だ。

「この冥界に暮らすわたくし達も、ある意味罰を受けています。塀を越えることは許されず、ずっとこの世界に閉じ込められる。亡者と紙一重ですわ。わたくし達は箱庭の中の人形と同じなのです」

「じゃあ、ここは地獄とどう違うの?」

「現世の者が罪を犯せば、通常、地獄へと送られますが、この冥界には転生できない者や地獄へ行くことが不適当な者が送り込まれるのです」

 転生もできず、地獄にも落とされない魂とは現世でどんなことをしてきた人達なのだろう。そして私もこの世界に落ちてきた。この世界が本当に死後の世界ならば私は生きていた頃、何をしたのだろう。どんな生き方をしてきたのだろう。元神が住まう世界なのだから、極悪人だったというわけではないだろうけれど。ん、じゃあ、その元神様がここにいるのは何故?

「わたくしは自らの意思でここへ来ました」

 瑠璃の心を読んだように伽也子が言った。少し遠い目をしている。

「どうして?」

 しばらくの間、沈黙が流れた。

「神様も間違いをしでかすってわけさ」

 リンが唐突に襖の影から出てきた。誰かに洗ってもらったのか、何だか体がほっそりして別の生き物のように見える。盗み聞きすんな、趣味悪いぞ。

「話したくないだろうけど、とっとと話してやんな。これから長い付き合いになるんだから」

 伽也子の顔に影が差した。躊躇いがちに口を開く。

「……お富さんが仰っていたように、わたくしは昔、神の一人でした。ですが、他の神と争いになり、その結果、ここ冥界に降りてきました。その神は決して犯してはならない罪を犯したのです」

 神の罪、と瑠璃は心の中で言った。神様がどんな罪を犯したというのだろうか。

「その神は厭きてしまったのです。現世の者の罪はまるで終わることがないと。どれだけ時代が過ぎようと同じ間違いばかり犯す、いくら地獄に魂を落としてもきりがない……、そして、ある時、善良な魂までも攻撃しはじめました。転生すべき善良な魂を殺すのは神の大罪です。それを止める際、わたくしは左手を失いました」

 伽也子は膝の上の左手に目を落とした。

「戦いの後、その神は捕えられ、地獄に落とされました。わたくし自身も神の役割や存在に疑念を持ち、神の座から降りました」

リンは一つため息をつき、

「伽也が責任感じることじゃなかったんだ。神の椅子から降りるこたねぇって、俺は言ったんだ。あいつは完全におかしいんだ、それなのにかばいやがって」

伽也子の美しい顔がさらに暗くなって――。瑠璃は胸がちくりと痛んだ。

「でも、わたくしはあの御方と……」

 消え入りそうな小さな声。リンは首を振り、

「なんであいつに今でもこだわる? おまえを殺そうとした奴だ。お前もあいつに似て、どっかネジが飛んでんじゃ……」

瑠璃は調子を一段高くした声で唐突に言った。

「あれ、あなた、お風呂のお湯で体洗ったの? キリ子さんに洗ってもらったの? 伽也子さん、お湯が冷めないうちに、早くどうぞ。私、もう疲れちゃって、今日はもうお休みしてもいいですか」

「ん、ああ、そうだ、伽也、早く風呂入んな」

 伽也子は顔を上げ、

「ええ、そうさせてもらいますわ」

 どうぞ、どうぞ、伽也子さんのお布団も私が敷いちゃうんで、あ、お布団ここですか? そう言って伽也子を送り出した。さて。

「伽也子さんが言ってた、あの御方って誰?」

 膝を曲げ、リンの目の高さに合わせる。

「誰って、伽也の姉だよ。双子の姉。炎使いの神」

 ふうん。ぐっと顔を近づける。

「何で、あんな言い方したのよ」

「何でって、あいつは今でも姉のことを……」

「人を悲しませちゃ駄目じゃない」

話辛そうだったでしょ、何でわかんないの。あんな表情見たくなかったのに。

瑠璃は立ち上がり、自分の膳と櫃を台所まで運んだ。伽也子の部屋に戻ろうと縁側に出ようとして、足が止まった。月の光を受けて雪が蒼く輝いている。この世界の月は元の世界の月と同じらしい。口の前に水平にした掌を近づけ、静かに息を吹きかけた。何も起きない。私もあんなことできるのかしら。微妙に同じで違う世界。伽也子の姉とはどんな人だろう。明日、目覚めた時、この世界がまだ続いていたら、その人にも会えるだろうか。会ったらどうなるだろう。殺し合いになるかもしれない。まあ、それもいいだろう。どうせ、現実なんて自分の心次第、認識一つでどうにでもなるのだ。

 生きていた時の自分は果たしてどんな人間だったのだろう。瑠璃は薄く笑った。手の甲についた引っかき傷の血を舐め、歩き出した。

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