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義手の人形と冥界の少女  作者: 睦月宏也
2/5

氷の人

 撫子(なでしこ)の花が普段よりも高い位置から見える。私こんなに背が高かったっけ、いや誰かに背負われているのか。懐かしい感覚だ。自分が今より幼かった頃もこうして親に背負われて、様々な花や景色を見ていたっけ。あれは鈴蘭(すずらん)水仙(すいせん)勿忘草(わすれなぐさ)……。その思い出はぼんやりとしてあるかなきかの幻のようになっているけれど、その思い出は記憶として確かに残っているのだと、実感している自分が確かにいる。だから私がいる。私はここにいる。私は。

「お、起きたか。おい、返事しねぇか」

 ガッチャン、ガッチャン。

「ん?」

 と寝ぼけ(まなこ)をこすりつつ瑠璃が返事すると、自分が誰かに背負われて運ばれていることに気が付いた。下に目をやるとリンが飼い主に忠実な犬のようについてくる。

「あれ、あなた、なんでここにいんの?」

「なんでじゃねぇよ。たく面倒かけんじゃねぇよ、伽也が死ぬほど心配したんだぞ。なあ」

 伽也? ああ、宮永さんのことか、と思って顔を横に向けると、そこに伽也子の顔があった。最初と変わらぬ優しげな笑みを浮かべたまま。

「裸足で外に出るなど、はしたないですわ」

「あ、す、すいません……」

 姉に叱られた妹のようで恥ずかしい。なんで自分は裸足で外に飛び出すなどという愚挙に打って出たのか? そうだそうだ、私誘拐されて、逃げ出して、走りまくって三千里、塀にもたれて休んでいたら、雷様に見つかって、きつい雷ごろごろドカン。て、またおかしなものを見てしまった。あれは一体……。ガッチャン、ガッチャン。何、この音は? 自分を背負っている人から奇妙な音がしている。首を伸ばして、その人の顔を覗き込んだ。

 桶だった。逆さになった桶が首の上に鎮座ましましている。目のあるべき位置に穴が開いていて、中の瞳が動いて瑠璃を見つめた。

「ひっ!」

 瑠璃は思わず叫んでその人の背中から飛びのいた。腰が抜けてしまい地面にへたりこむ。

「驚かせてしまったようですね。すみません」

 アニメアニメした可愛らしい少女の声。そう言って、瑠璃を背負っていた人物が振り向いた。

 茶色のぼさぼさした髪に桶の頭。黒い合羽を羽織った長身の体はまさにからくり。歯車やゼンマイ、バネがむきだしのまま動いていて、指でも挟んだら危ないじゃないの、カバーつけなさいよと瑠璃に思わせた。木で出来た骨組みのような手を差し出して、からくり人間が言った。

「申し遅れました。私、からくり人形の螺鈿院(らでんいん)キリ子と申します。今後ともよろしくお願いいたします。さ、手をどうぞ」

 瑠璃はその手を握り、起き上がった。ジー、ガッチャンと音をたて、からくり人間は頷いた。隣のリンが、

「歩けるんなら歩いていきな。お前背負ってたら、後でキリ子のゼンマイ、余計に巻かないといけなくなるから」

 瑠璃はもう混乱してはいなかった。どうもこの夢というか幻覚にはもう慣れてしまったようだ。しゃべる動物の次は、ロボットですか。もういいですよ、私の負けです。

「屋敷に帰ったら、まず着替えなけりゃな。お前ひどい格好だぞ。着物はズタボロだし、髪も爆発して鳥の巣みたいだし」

 リンの言葉に、瑠璃は自分の着ている着物がぼろ雑巾のような有様になっていることに気が付いた。頭に手をやると髪があきらかに膨らんでいて、ご自慢のさらさらストレートヘアが悲しいかな綿菓子ようになってしまったことが容易に想像できた。

「ふふ」

 伽也子が口に手をあてて笑っている。そんなにおかしいですか、今の私。

「帰ったら、着替えをまた用意しなければなりませんわね」

 着替えをまた用意。そういえば、なんで私は着物を着ているのだろうか? 元の服が汚れたから着替えさせたのだろうか。まあ、それでもこの着物よりましでしょ。

「私の着てた服があるでしょ、それに着替えたら」

「いえ、瑠璃さんは裸のまま、冥界に降ってこられたのです。リンがたまたま見つけてキリ子さんに運んでもらいました」

「ああ、嗅ぎなれない匂いだと思って追ってったら、お前さんがそのまんまの姿で河原に転がってたんだ」

 顔が真っ赤になった。裸のまま降ってきた、ということは、この中年のような話し方をするおかしな生き物に私の体を見られたということだ。次の瞬間、瑠璃はリンの首根っこをつかんで激しく揺さぶった。

「え、あんた、な、なんで私の裸見てんのよ、え、え、なんで、なんで、この変態、変態!」

「俺は、そんな、人間の、体なんか、興味ねぇよ、って、ぐ、ぐるじい、は、はなして」

「とりあえず、今は早く屋敷に帰りましょう。うろうろしていたら、また雷を落とされるかもしれません」

 キリ子の言葉に瑠璃ははっと我に返った。空に黒雲は見えねども、あんな雷をまた落とされてはたまらない。瑠璃はまた走り出そうとした。

「そちらは屋敷とは逆ですわよ」

 あ、そうか屋敷の場所知らないんだ。て、結局振り出しに戻るのか。


「お前なんで急に飛び出した? おまけに塀の方に走りやがって」

 リンが鼻先をツンツンさせながら瑠璃を責めたてる。しかし、手鏡を見ながら膨張した髪の毛を元通りにしようと悪戦苦闘している瑠璃にはそれどころではない。

「ちょっとこれ、元に戻んの? 色もなんか茶色っぽくなってるし、ずっとパーマのままでいなきゃなんないの?」

 リンは無視して、

「まさに九死に一生を得るってやつだ。今回は見逃してくれたが、次は近寄っただけで地獄行きかもな」

 地獄? 何のこっちゃ、と伽也子を見ると、

「説明申し上げる前に、瑠璃さんが飛び出されたものですから……。塀の向こうはそのまま地獄の世界へとつながっています。誰も行き来できないよう神が見張っていて、塀に近づく者に警告としてあのような罰を下すのです」

 塀の向こうは地獄の世界。そんなまわりくどいことを言わなくても、今度逃げたら殺す、ぐらいのことを言えば一発なのに、なんでそんな神だの地獄だのとたわごとばかりぬかすのだろう。まあ、あの雷は本当に死んだかと思うほどすごかったけれど。しかし、この夢だか幻覚だかはいつまでたっても終わるということがない。相変わらずこの状況に翻弄されている自分がもどかしい。いや、自分は誘拐されたはずだった。だったら大人しくしているべきだ。一度逃げ出したのだから、これまでより手荒く扱われるかもしれない。さっきは頬をつねられただけだったが、こんどは骨の一本も折られるかもしれない……。

 その時、障子が白く発光したかと思うとすさまじい音がして、部屋が小さく揺れた。近くに雷が落ちたらしい。伽也子が障子を開け外を見た。

「少し、様子が変ですわね」

 瑠璃も伽也子の傍に立ち、外を見る。池の近くの木が上手い具合に二又に裂け燃えている。そして、上空には渦巻く黒雲が執念深く獲物を探すようにさまよい続けている。さっきは気づかなかったが、池から左に目をやると少し遠くの方に、横に長く続く白い塀が見えた。一部、黒く焦げている箇所がある。あんな近い所を走ってたんだ、私、アホだな。

「この屋敷は塀に近い場所にありますから、もっと早く、ご注意申し上げるべきでしたのに申し訳ありませんでした」

「あ、いえ、すいません。私のせいで」

 伽也子を謝罪させてしまった自分が悲しかった。この人は悪い人のようには見えない。これまで見てきたことや眼前で起こっていることが本当のことだとは思えないくらいに。ほら、ご覧なさい。今度は不死身の象徴、霊験あらたかな鳳凰が口から炎を吐いて地上を焼き尽くした。そしてあちらには雷神様、いや今度は風神様がやってきて燃え上がる炎を竜巻で吹き飛ばしあそばされた。あれ、またなんか色々おかしなものが見えているな。ガチャガチャと音を響かせながら、洗濯ものを抱えたキリ子が大急ぎで庭を走ってきた。

「大変です、大変です。脱走した亡者達がこちらに向かってきます」

 伽也子は落ち着き払って言った。

「ええ、そのようですね。またクナドの門が決壊したのでしょう。ですが、すぐに収まりますわ」

 亡者? クナドの門? 決壊? また何かおかしな話になってきたな。炎や竜巻を避けながら、猿のような、人間のようなものが一匹、こちらに向かってものすごい早さで迫ってくる。鋭い牙に長い爪、そして血のように赤い目。何だありゃ? 話の流れからしてあれが亡者というものだろうか。何か怖いな、映画に出てくるゾンビみたい。瑠璃がぼんやりとスクリーン越しに見るようにその異形の者を見ていると、伽也子が庭に降りた。

「瑠璃さん、少し下がっていてください」

 髪を解き、羽織も脱いでいる。少し雰囲気が違うなと瑠璃が思っていると、急にあたりが暗くなった。ぶるるっ、と寒気に身震いした。

「へっくしっ!」

 瑠璃がくしゃみをした瞬間、耳をつんざく音とともに、すさまじい吹雪が巻き起こり、異形の者を飲み込んだ。断末魔の叫びとともにその体は一瞬で凍らされ、粉々に砕け散った。

吹雪の渦が空高く上がって消えた。

え、何、今の? 私のくしゃみであの変な奴がいなくなっちゃったみたいなんですけど。

「伽也、ちょいと力を使いすぎたんじゃねぇか?」

 リンの声に伽也子は振り返った。少しはにかんでいる。

「そうかもしれませんわね。しばらく溶けそうにありません」

 見渡す限り一面の銀世界だった。鳳凰も風神もどこかに消えていた。伽也子一人が立っている。そして、

「み、宮永さんって……」

 瑠璃は震えながら伽也子を指さした。

「おばあちゃんだったの?」

 伽也子は髪に手をやり、なんでもないように言った。

「力を使うと、以前のようになってしまうのです。でも、すぐに黒くなりますわ」

 その髪は絹のように白く、瞳の色は氷のように冷たかった。

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