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05.銀髪の青年

 それから日が暮れるまで辺りをほっつき歩いていた湘馬は元にいた学園の近くまで戻って来ていた。


 見る景色、そのどれもが記憶に一切無かった。


 たとえば電車を見てもその乗り方は分かる。

 時計の見方も分かるし、スマートフォンの使い方だって分かる。


 日常生活で必要な記憶はすべてあるのに、自分がどこの誰なのかは分からなかった。


 鞄の中に入ってあったスマートフォンには不在着信が数十件と表示されている。

 だが、それを確認しようという気分には到底なれなかった。


 辺りを歩いて分かったことと言えば、ここが東京の臨海地区で今日が2024年5月7日であるということだけ。

 

 湘馬は海が見える公園のベンチに座り、ビルの間に沈む夕日を眺めていた。

 一体、自分は何者でどこで何をしていたというのか。


 それに……と、湘馬は思う。


 朝にいたあのエンゼルロッジと呼ばれるコテージは一体何だったのか。


 窓の外からは間違いなく森や山が見えていた。

 近代的なこの東京の風景とは正反対の場所である。


 まるで、瞬間移動でもしてしまったように、あのコテージの玄関を開けたらこんな場所に来てしまったのだ。


「……死後の世界。そうか。それならこんな滅茶苦茶なこともあり得るのかな。ははは……」


 朝にあの体格の良い女が言っていた言葉を湘馬は思い出す。


 ここが本当に死後の世界であれば、こんな突拍子もない出来ごとが起こっても不思議ではないのかもしれない。


 けれど、湘馬は未だにその話を信じられずにいた。

 なぜなら、自分がどうやって死んだのかさえ思い出せないのだから。

 

 ふと、湾岸沿いのフェンスに目を向ければ、海を眺めながら佇んでいる青年の姿が湘馬の目に入った。


 年齢は20代半ばといったところだろう。


 服装は白い長袖のワイシャツに黒のチノパンツといったどこにでもありふれた若者の恰好であったが、男の周りにはどこか近寄り難い神秘的なオーラが発せられていて、それが湘馬を引き付けた。


 彼は銀色に輝く髪を靡かせて、暮れゆく黄昏のビルに目を向けている。


 ともすれば、野暮ったく見えるその髪の長さも、ひと際目立つ艶やかな髪質のお陰でまったく気にならなかった。


 そんなことを考えながら湘馬が何となく彼の方へ目を向けていると。

 突然、その青年が振り返ってくる。


(っ!) 


 その瞬間、湘馬はこれまで感じたことのない強烈なデジャヴを抱いた。


 まるで、この場の重力がすべてひっくり返ってしまったかのような大きな衝撃を受けたのだ。


 以前に彼とどこかで会っているような気がする、と。


 とっさに湘馬はそう感じた。


 そのまま彼の姿を見続けていると、なぜか鏡に映った自分の顔を覗き込んでいるような奇妙な錯覚にとらわれる。


 どうしてかは分からないが、目の前にいる男が自分の分身のように感じられてしまったのだ。


 だが、そんな思いを抱いたのは一瞬のことであった。

 すぐに湘馬の脳は目の前の男を初めて会う人間として認識を改める。

 

 不思議に感じつつも、湘馬はこのことをある意味で一縷の望みとして捉えていた。


 彼の存在は、まったく記憶の無い自分にとって何かの手がかりとなるのではないか。

 そう思えたのだ。


 湘馬はとっさにベンチから立ち上がると、その男に声をかけていた。


「す、すみませんっ! あの……前にどこかで会ったことがありませんか? 実はボク……」 


 記憶が無いことを正直に告げようとする湘馬であったが。

 すぐにハッとして息を呑み込む。


 〝どうしてこんなところへ来てしまったんですか〟と。


 青年が小さくそう言葉を漏らしたように聞こえたのだ。


 先ほどから強く吹き付ける風のせいでそう聞こえたのかもしれない。

 聞き間違いであったかもしれない。

 

 けれど、自分は何か途轍もなく大切な物ごとを忘れてしまっているのではないか、という感覚に湘馬は陥った。


(どうしたんだ、ボク……) 


 正体不明の焦燥感に駆られつつ、男の方へ視線を戻すと、彼は意味深にある一点を人差し指で指さしていた。


 ふと、視線をそちらへ移せば、公園の時計塔が湘馬の視界に入った。

 針は17時半過ぎを指している。


(……そうだ、18時までに戻らないといけないんだった)


 湘馬はすぐに朝に女に言われたことを思い出していた。

 何か彼は知っているのではないか。


 そう思い、再び男の方へ視線を戻す湘馬であったが――。


「え……」


 すでにその場には彼の姿は無くなっていた。

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