02.死後の世界
「記憶を取り戻す……」
少年は女の言葉に声を失ってしまう。
にわかに信じ難い話であったからだ。
そして、次の瞬間に沸き起こってきたのはやり場の無い怒りであった。
「そんな話……勝手に死んだなんて言われて、こんなわけの分からない場所で目を覚まして……。信じられるわけないですよ! 第一、天国なんて本当にあるんですか」
「さっきも言った通り、それはアタシたちにも分からないよ。けどね。そうやって言われたことを信じない限り、このわけの分からない世界でまともに暮らしていくことはできないんだ。君もアタシの言っている意味がすぐに分かるよ」
女はそこまで口にすると、ふと隣りのリビングにある掛け時計に目をやってから、何やら慌ただしそうにテーブルに並べられた食器を片づけ始める。
「おっと。もうこんな時間だ。悪いけど、少しだけ下りて来るのが遅かったみたいだな。これからアタシたちは外の世界へ〝仕事〟に行かなければならないんだ」
「外の世界?」
「詳しくは後で話す。ひとまず、部屋に戻って着替えてきな。君は……多分、学生だろ? 部屋の中に制服と鞄があったはずだ。それに着替えてくるように」
そう女は早口で捲し立てる。
言いたいことはまだ山ほどあったが、ここでぐだぐだと言い争っていても埒が明かないと少年は考え、とりあえず女の言うことを聞くことにした。
◆◇◆◇◆
2階へ上がって目覚めた部屋へと戻ると、部屋着からハンガーに掛けられている制服へと着替え、鞄を持ってリビングへと下りる。
すると、そこにはすでに先ほどまで一緒にいたスーツ姿の男と若い茶髪の女の姿は無く、体格の良い女だけが残っていた。
「着替えてきたな。いい子だ。それじゃ行こう」
「ちょ、ちょっと待ってください。行くって、一体どこに……」
「さっき言っただろ? アタシたちは外の世界へ〝仕事〟に行かなくちゃいけないんだって」
「それは分かりましたけど、なんで……」
「記憶を取り戻すためさ。行けば分かる」
「行けば分かるって……えっ……ちょちょっとッ……!」
女は少年の手を強引に引いていく。
なんて力だ……と、少年は思った。
そして、そのまま開け放たれた玄関の前に立たされる。
「いいか。外の世界へ行ったらこれだけは守ってくれ。必ず18時までにはこのコテージ――エンゼルロッジへと戻ってくること。それを破ると大変なことになってしまうんだ」
「なんですか。大変なことって……」
「とにかく。門限は厳守するように」
「っ」
少年はとても混乱していた。
ただでさえ、自分が誰かも分からないというのに、このような意味の分からない状況に置かれているのだ。
「行ってらっしゃい!」
「うあぁっ!?」
少年は笑顔の女に背中を押されると、玄関から飛び出す。
すると、突然光が彼の体を包み込んで――。
次の瞬間、目を開けた少年は愕然とした。
なぜなら、目の前に見えていた景色が突然まったく違うものへと変わっていたからだ。
「嘘、でしょ……?」
少年はマンションの外廊下のような場所に立っていた。
山に囲まれた森の中の景色は忽然と姿を消し、まるでワープするように、少年はまったく異なる場所へと足を踏み入れていたのだ。
理解が追いつかない。
頭は混乱してパンク寸前であった。
ふと振り返れば目の前にはドアがある。
とっさに少年はドアノブを掴んでそれを開けると勢いに任せて怒鳴っていた。
「どこなんですか、ここは! 説明してください!」
少年は女に問わずにはいられなかった。
少し怒ってもいた。
しかし。
そこにあの体格の良い女の姿はなかった。
代わりに主婦らしき女がちょうど部屋に掃除機をかけている場面が目に飛び込んでくる。
主婦は少年の姿を見るなり呆れた様子でため息をつく。
「はぁー……あんた何やってるのよ。下で結愛ちゃん待たせているんでしょ?」
「ななな……」
「早く行って来なさい。休み明けから遅刻するつもり?」
「なっ……だ、誰っですか、あなたは!?」
「自分の母親に向かって何バカなこと言ってんのよ。ほら、とっとと行きなさい」
「どわぁっ!?」
きちんと訊く暇もなく、そう強引に追い返されてしまう。
ドアはしっかりと閉められてしまった。
(一体、ここはどこなんだ……)
少年は自らの置かれている状況に絶望する。
外を覗けばここがかなり高い場所に位置していることが分かった。
海の近くにタワーマンションが競い合うようにしていくつも建てられているのが見える。
この場所もきっと同じような建物に違いない、と少年は思う。
(こうなれば、警察に助けを求めるしかない)
突然、まったく違う場所へ自分が移動していた事実を警察が信じるかは分からなかったが、自分が何者でここがどこかも分からない以上、警察を頼る以外に少年に選択肢はなかった。
少年はひとまずマンションの1階まで降りることにした。