11.別れの言葉
青司と一緒に少女の肩を持つと、そのまま彼女を姫華の隣りへと座らせる。
「これ飲んで」
「…………」
姫華から差し出されたコーヒーを受け取った少女は、それから静かにマグカップに口をつけた。
まだ、若干混乱している様子であったが、コーヒーを飲んでいくうちに徐々に冷静さを取り戻していくようであった。
しばらくして場が落ち着くのを待ってから青司が少女に口を開く。
「ようこそエンゼルロッジへ。突然こんなところで目を覚まして驚いたでしょ?」
「……は、はい。あの……わたし、自分が誰だか分からなくて……」
「不安に感じることはないよ。みんな初めはそんな感じなんだ。僕らも皆、記憶が無いんだよ」
「えっ」
青司のその言葉は、初日に良子が口にしていた台詞そのものであった。
その時、湘馬は思い出す。
(そうだ。良子さんは……)
吹き抜けのらせん階段を見上げてみても、上から誰かが下りてくる気配は感じられなかった。
普段の良子ならもう下りてきていないとおかしい時間だ。
湘馬は二人が会話している中に割って入り、そのことを青司に早急に訊ねる。
「青司さん。良子さんがまだ下りてこないですけど……」
背筋にぞくっとした感覚を抱きつつ、湘馬は彼の回答を待った。
少女の視線がこちらを向くのが分かる。
彼女は一体どこから出てきたというのだろうか。
2階には部屋は4つしかないのだ。
(まさか)
そう嫌な予感が頭を掠めた瞬間、青司がこちらの出方を慎重に窺うような口調で静かに口にする。
「……残念だけど、良子さんは昨日エンゼルロッジを去ったよ」
「ッ」
「君も聞いていたはずだよね。記憶を取り戻した者はこのコテージを去り、天国へ行くことになるって」
「け、けどっ……! そんなの……突然過ぎるじゃないですかっ!」
「湘馬君。ここはそういう世界なんだよ。いつまでもここに留まってはいられない。僕らは皆、いつかはここから去らなければならない存在なんだ」
「な、なんで……」
そこでようやく、湘馬は昨夜の良子の言葉の本当の意味を理解する。
彼女は別れの言葉を口にしていたのだ。
「新しいゲストがやって来たんだ。湘馬君もしっかり」
そう言って青司はすぐに少女の方に向き直る。
その仕草からは、良子のことを痛惜するような血の通った人間の感情はまったく感じられなかった。
姫華にしてもそうだ。
この状況を当たり前のことのように黙って受け入れている。
二人ともあんまりだ、薄情じゃないか。
そう湘馬は思った。
1か月も一緒にいなかったのかもしれないが、この得体の知れない世界で同じ運命を共にした仲間であったはずだ。
もう少し良子に対する言葉が何かあっても良いのではないか。
しかし、すぐに湘馬は気づいた。
何も彼らは好き好んでこのような態度を取っているわけではないということに。
そうやって割り切ってしまわないとこの理不尽な状況を受け入れることができないのだ。
だからこそ、青司は言葉少なにこの話題を切り上げたのだろう、と湘馬は思う。
昨夜の良子の言葉が甦る。
『直に分かる時が来るさ』
きっと、彼女もこうしてこの世界から去っていく仲間たちを見送ってきたに違いなかった。
そう理解を深める湘馬とは対照的に、青司とのやり取りを目の前で耳にしていた少女は激しく混乱しているようであった。
当然と言えば当然だ。
〝天国へ行くことになる〟だの〝いつまでもここに留まってはいられない〟だの。
そんな言葉を耳にして平静を保っていられるわけがない。
それに加えて自分自身が何者か分からないのだ。
つい数日前の自分がそうであったから、湘馬は今の少女の心境が痛いほど理解できた。
もちろん、それは青司にしても同じだ。
彼は心細そうに縮こまる少女に対して優しく話しかけると、良子が湘馬に話したようにこの世界の仕組みについてゆっくりとレクチャーしていく。
そんな二人の姿を見ているうちに、湘馬は徐々に冷静さを取り戻すようになり、自身の中で一つ区切りをつけることができるのであった。