8.お迎え
翌日は朝から良く晴れたいい天気だった。
朝食を終え、一番の重労働である井戸の水くみも終わった。さて、ファティマと連れだって畑仕事に出ようかと思った矢先。見慣れぬ黒塗りの箱馬車が修道院を訪れた。箱馬車の後ろには幌のついた荷馬車もある。
王都からの使者だった。ファティマを迎えに来たらしい。それも、
「エルナン!」
「ファティマ! 約束どおり迎えにきたぞ!」
恋人が直接迎えに来たようだ。
使者に向かって走り出したファティマの後ろ姿。その向こう側に見える騎士さまは、少女漫画で最初にファティマと仲良くなる騎士見習いエルナン・コランダムだ。
(おぉ、本物だ)
ローズは瞠目した。
ブルネットの短髪にアンバーの瞳。背が高く、服の上からも判るがっしりとした体躯。なかなかのハンサムさんだ。ファティマ曰く『素敵筋肉』さんである。ファティマを軽々と抱き上げてクルクルしている。
(これはあれね、リア充という奴ね)
前世でよく使ったフレーズを思い出した。前世のローズは周りを見ないバカっぷるを馬鹿にしつつ、心の底の方では羨ましいと思っていた。ほんのちょっとだけ。そしてよく呪いのことばを呟いていた。
(爆発しろ、なんて今世では初めて思ったわ)
しかし。
彼が生きて、動いている。凄い。
ファティマを初めて見たときも、ローズはしばし見惚れた。
転生してまでも記憶の淵から引っ張り出して思い出すほど好きだった少女漫画なのだ。そのキャラクターが目の前で生きて動いているのだ。感慨も深くなる。
とはいえ。
ミーハーな心持ちを全面に押し出せば不審者になるのを重々承知しているローズは、とりあえずの営業用笑顔を作った。
「ファティマのお迎え、ですか?」
見慣れない箱馬車の登場に、修道院内から数名の修道女が出てきた。
「最近のファティマは、大人しく、淑女らしくなりましたからねぇ。親御さまもご令嬢のご帰還をお待ちでしょう」
そう言いながらローズの隣に立ったのは、この修道院の老院長である。
彼女がエルナンの他にもう一名いた壮年の騎士さまと対面したのを見届け(相変わらずファティマを離さないエルナンは騎士失格ではなかろうか)、ローズは自室へ向かった。ファティマがここに来てから2カ月近く。それなりに荷物もある。ファティマの荷造りの手助けが必要だろう。そう思ったのだが。
「お待ちください、シスター! 託宣の聖女さまでいらっしゃいますよね?」
ローズの進行方向に立ち塞がった明るい茶髪の男性がいた。
「あなた、は……」
明るい茶髪は緩やかにウェーブして、少女めいた顔を縁取っているが男性だ。
薄い緑の瞳のこの顔は、やはり少女漫画の主要キャラクターであるフィト・ギベオン。平民だが、大商会の息子でいわゆる富裕層のお坊ちゃまだ。背丈はローズの視線が少し上を向くていどの、男性にしては小柄なほうだろう。
だが、その花のかんばせがニコニコと、とても嬉しそうにローズを見ているのはなぜだろう。
「託宣の聖女さま……かつて先読みの乙女と、サウスポートの守護天使に愛された少女と言われたのは、あなたのことですよね?」
いい笑顔とキラキラした瞳で、なんてことを訊くのだ、この人は‼‼
ローズは相手の態度に戸惑うしかない。
彼女は一方的にフィト・ギベオンを知識として見知っているが、彼とローズが会った過去はない。少女漫画の中では学園で出会うのだから!
戸惑うローズをよそに、フィト・ギベオンは彼女の前に跪いた。
「あなたにお会いしたかった! 会って、最上級の感謝と尊敬と、そして忠誠をあなたに捧げますっ!」
なにを突然。
どうしたらいいのか分からなくなったローズは、恐る恐る周りを見回した。
あらまぁという表情で見守る院長ほか修道女たちと、フィト・ギベオンの奇行に気が付いたらしいファティマとエルナン(抱き合ったままだ! リア充どもめっ)がこちらを見ていた。ベテランらしい壮年の騎士さまもキョトンとした表情でこちらを見ている。
(エルナン! この人、あなたの連れじゃないの? なんとかして頂戴)
そう思いつつエルナンとファティマを見詰めれば、ファティマがきゃらきゃらと笑いだした。
「ローズのそんな困った顔、初めて見たー!」
ファティマのヒロインらしい愛くるしい笑顔は眼福だったが、いい加減助けて欲しいとローズは嘆息した。
◇
院長の如才ない取りなしによって、その場を修道院内に移動することとなった。だが、場所は女子修道院である。基本的に男子禁制である。
そんな女子修道院にも、男性が立ち入ることが許されたエリアがある。面会専用の特別棟内にある応接室だ。ここにローズは初めて足を踏み入れた。
ソファセットには院長とローズ。そしてフィト・ギベオンが対面に座り、エルナンは入り口付近で壮年の騎士さまと一緒にすました顔で立っている。
一応、護衛騎士としているらしい。先程までリア充感満載だったくせに。
ローズの恨み節はともかく、いま注視すべきは目の前に座ったフィト・ギベオンだ。
彼は改めて自己紹介をし、懐から一通の封書を出してローズに渡した。
「長いことあなたさまをお探ししていた方からです」
封蝋に見覚えが無い。この月桂樹の紋章はどこの家紋だっただろうか。
院長が手渡してくれたペーパーナイフで開封する。
現れた便箋に綴られた文言は、会ったことも見たこともない、親族と名乗る女性からのものだった。便箋の最後に記された彼女の署名に驚いた。
「カメリア・ローリエ大公妃? って、隣のローリエ公国の?」
「はい。長い間あなたさまのことを、ご自分の妹の娘御を探していたと伺っております」