3.ローズの過去話
薬缶に淹れたお茶はすっかり冷めているが、喉を潤すにはちょうどいい。畑仕事の途中で休憩するのはいつものこと。
畝の隅に腰を下ろし、ローズはファティマに木製のコップを持たせ薬缶のお茶を注いだ。
「端的にはっきり言えば、──継母に疎まれて捨てられた。これに尽きるわねぇ」
「……継母に、捨てられた」
オウム返しに呟くファティマの暗い表情に、ローズは自身の転生の話は割愛した方がよさそうだと判断した。
なんだか、『親に捨てられた』というフレーズにショックを感じているようだったから。
いらぬ心配をかける必要などない。
もともと、ローズにとって『ファティマ』は好きなキャラクターだったのだ。そして実在する彼女は――少しばかり我が儘ではあるが――そんなもの児戯のようなもので、とても素直で明るく愛されるべき人格をもっていると感じた。
そんな彼女に、これ以上の心理的不安はかけない方がよいだろう。
そもそもこの国の宗教に『生まれ変わり』などという概念はない。『転生』やら『前世』など考えもしないだろう人間に、そんな話題はしない方がいい。
そう思いつつ、ことばを繋ぐ。
「そう。加えてわたし……そうね、予言ができたの。子どもの頃、一時だけの話よ? 今はもう無理だけど。
夢で、見ることができたのよ。我が公爵家の没落を予言しちゃった。そうしたら“不吉だ”とか“悪魔の子だ”とか言われてねぇ。ぽいっと修道院に入れられちゃったわ」
「……没落の予言?」
「ん。公爵領の中にとても栄えた港町があって……そこが海賊に襲われて一日で壊滅。人々は皆殺しになるって。それをきっかけに公爵家は没落するって……言っちゃったの。
壊滅を防ぐためにちゃんとした警備隊、それも軍隊に近いそれを置いたほうがいいって父に提案したのだけど……なんせ7歳の子ども言うことだから真に受けて貰えなくて。
義母に嫌われて。わたしが壊滅すると予言したサウスポートという港町にある女子修道院へ送られたわ」
今でも目を閉じると鮮明に思い出すことができる。
そら恐ろしいものを見る目で顔を歪め、自分を見下ろす血の繋がった父。
義母は鬼の首を取ったように勝ち誇った笑顔で
『こんな不吉なことをいう娘は悪魔付きです! 神の御許の修道院へ入れて矯正しなければなりません』
と自分の夫に耳打ちしていた。
一つ年下の義母妹――義母の連れ子だ――は、涙目になっておろおろとしていた。
彼女はローズの身を心配していた……のではない。
『おねえさま、悪魔なの? 呪いができるの? こわい。リリーを呪わないで』
と、我が身の心配ばかりしていた。当時6歳の幼女には致し方ない、とは思う。
「え? 港町の修道院へ? 最初からここにいたのではなく?」
ファティマの柔らかい声に現実に戻される。
「ここは、逃れ逃れて追手を振り切って、やっと辿り着いた地ね」
そもそもこの地は王家の直轄領だ。ガーネット公爵家とはなんの関係もない。公爵令嬢だった当時のローズに来れる場所ではない。
「のがれ、のがれて? ……追手?」
眉間に皺寄せた怪訝な表情のファティマに苦笑する。
疑問に思うのも当然か。
放逐されなんの権力も持たない7歳の……否、そのときにはもう12歳になっていたか。そんな少女に追手がつくなんて尋常ではない。
ローズは手の中のコップを見つめる。水面には寂しそうに笑う自分が見えた。
「その港町はとても栄えていて、一大商業都市といってもいい規模だったわね……豪華客船も停泊したり、貨物船も沢山行き来してて……つまり、とても裕福な街だったの。その街を海賊が襲うって……わたしが12歳になったらその未来がくるって予言を人に話したのは、……まだわたしが10歳の頃だったかな。まずは、修道院の院長さまに相談したの。夢で守護天使さまのお告げを受けた、街に災厄がくる、と……」
嘘だ。本当は予言なんかできないし、天使のお告げも受けていない。
だが、蘇った漫画の記憶の中で該当するシーンがあった。
悪役令嬢ローズ・ガーネットの断罪後、牢獄の中でガーネット公爵が語るシーンだ。
海賊被害にあい全滅した領内の港町を再建する資金が必要だったと。
その調達のために、さまざまな悪事に手を染めたと。
なんとかガーネット公爵家を立て直したかったのだと。
それらを逆算して考えたら、海賊襲来はローズが12歳のときの出来事だろうと推測できただけだ。
「その街の警備隊は、本当にお粗末なもので……。本来なら領主である父が手を加えなければならないところだけど、聞き入れてくれなかったから……」
港町の住人はほぼ皆殺しだった。生き残った女子どもは当然奴隷として連れ去られる。
そんな惨状、防げるのなら防ぎたかった。
子どもだったローズは、前世の記憶が戻ってすぐ婚約者である王子にそれを話してしまった。
自分は悪役令嬢なのだと。あなたに断罪されるのだと。
こちらもまだ子どもだった王子さまは、ローズの話をすんなりと信じてくれた。
その後、少女漫画の詳細を思い出し父親に助言した。ガーネット公爵家の没落の原因になる海賊襲来を回避したかったのだ。
備えさえあれば回避できる惨状だったのだから。
王子さまがすぐに受け入れてくれた事実に、自分の父親もローズの言を聞き入れてくれるだろうと信じて疑わなかった。
だが、父親は7歳の娘のことばより、再婚した若い後妻のことばに信を置いた。
前妻の娘であるローズは彼にとって気味の悪い生き物になってしまった。
「よく、信じてもらえたね……だって、お父さんには、その……」
ファティマの歯切れの悪いことばに苦笑以外のなにができるだろうと、ぼんやりローズは思う。
血の繋がった父親に信頼されなかった経験から、修道院送りになったばかりのころのローズは慎重になった。
時間をかけた。
修道院で周りの信頼を勝ち取るため、従順で敬虔な信者になりきった。
そのうえで、当時の院長に『夢で天使からお告げを受けた』と相談した。
信頼を勝ちとり相談するまで、じつに三年間を費やした。そして――。
「信じてもらえたわよ。天使さまからの刻印があったから」
「刻印?」
「額にまるく、傷痕があるわ。今でも残っているかしら?」
普段はシスターベールで隠されている額。
少しだけ布地を避けてファティマに見せれば、彼女は真剣な瞳でじっくりと検分している。
「うっすらとだけど……おでこの中央に、まるく、輪の痕が……なにこれ」
ファティマの細い指が、こわごわと額の中央に触れる。滑らかな額に、でこぼこした傷痕。
「港町の守護天使・タブリスさまからの刻印よ。夢の中で、誰も信じないならこれを見せろってガツンとやられたの。起きたら本当に傷がついていたわ」
嘘である。
まだだれも起きてこない早朝。形見として持っていた実母の指輪を額に押し当て痕をつけてから、自分で鏡を見つつナイフで傷つけたのだ。
これはフランスのモンサンミシェル建設秘話をアレンジした。聖痕だと訴えればことばに説得力が増すだろうと。
途轍もなく怖かったし痛かったが、周囲の大人の信頼を勝ち得るために強行した。
ローズにとって(というよりその港町にとって)幸いなことに、彼女が相談した修道院の院長は理性的な人だった。そして敬虔な信徒であり、神のお告げを信じる人だった。彼女はローズのことばを頭から否定したりせず(額から血を流す10歳の少女を無視することもできなかったのだろう)、すぐに聖教会本部と連絡をとり、ローズのことばが真実なのか判定を委ねた。
教会の枢機卿が複数人訪れローズの審査をした。
彼女の出自はもとより、日頃の態度や言動に矛盾はないか調べ、額の傷跡を検分した。教会の秘宝である『真実をうつす水晶玉』を持ち出し、ローズに持たせ質問を繰り返した。
これは嘘発見機のような作用をする。嘘を言えば、赤く光り、本当のことならば白っぽく光る。
本人が本当だと思っていることは『本当』だと判定されるのだ。
ローズは自分に言い聞かせた。『わたしはマヤ。役になりきるの。ローズは天使にお告げを受けた奇跡の子よ!』と。
結果、彼女の言に嘘はないと判定された。
同時にこの港町の管理のずさんさが王都に伝えられた。
どうやら公爵は、インフラ整備や警備にかかる費用を一切捻出していなかったらしい。
そして枢機卿は結論づけた。
万全の準備をしたうえで、ローズが言うところの『海賊襲来』するその日まで様子を見守ろうと。
ローズの審査をした枢機卿は、彼女の前に跪き『幼き聖女よ。この街を守り給え』と頭を垂れた。実質、教会から奇跡認定されたのと同義だった。
「教会側から『予言は本物』っていう認定が下りたから、隣の領のサウェスト辺境伯さまに、恥ずかしながらとわたしの身分を明かして頼ったわ。不甲斐ない父に代わってお願いします、この港町を守ってください。ですが、海賊が次に襲うのは辺境伯領です、一緒に被害を受けますか? と予言を付け加えてね」
漫画のとおりにことが進むのなら、ガーネット公爵領のサウス地方すべてがなし崩し的に壊滅する。隣接するサウェスト辺境伯領に被害がないなんて考えられない。だからちょっとだけ盛った。
「それは……脅したって言うんじゃないの?」
ファティマがかわいい顔を顰めながら訊く。
ローズは肩をすくめる。
「あら。人聞きの悪い。一蓮托生で野垂れ死ぬよりマシだと思ったから忠告の意味も込めたのだけどねぇ。あと、隣の領なのにわざわざ救ったとなれば、今後、この港町の管轄はそちらに移譲されるでしょう、とも言ったわ。当然よね? 元々の領主は打ち捨てていたのだもの。ちゃんと管理できる者が管理するほうがいいわ。
町の人もこれからは公爵家の名ばかりの庇護下から、もう離脱したいと訴えていたし」
「……つまり、海賊は来たのね。予言は成就した、と」
なぜかファティマの瞳がキラキラと輝いている。そこはかとなく嬉しそうだ。『予言』を信じたらしい。
(単純な子で助かるというか、可愛らしいというべきかしら)
「そう、ね。……ファティマがもし、海賊で……街を襲撃するならいつにする? 一日のうち、何時ごろ?」
「え? ……そりゃあ、人のいない深夜? 月の無い夜とかに襲撃ってするんじゃないの?」
「逆よ。真っ昼間だったわ。救難信号旗を掲げて、表向きは普通の貨物船の顔をして。港のド真ん中に乗り込んできたわ。救難信号旗を掲げている船はね、それがどこの国籍の船でも救うの。それが海のルール。海賊はそれを悪用したの。港の中央にスピードも緩めず乗り込んで、桟橋やら諸々壊して、その後上陸。簒奪と殺戮をする予定だった」
思い出したのが『漫画』だったから、当然、絵があるのだ。
海賊襲撃のさまも絵として克明に思い出せた。
「……予定だった? それもローズが予言していて、防いだ……ってこと?」
ファティマの疑問に頷くことで応えた。
「襲撃の日付は分からなかったけど、いつもは来ない他国籍の見慣れない形の船だということは視えていたから、注意喚起はできたわね」